日本文学史及び作品鑑賞第十四回近世文学時代の区分1603年の江戸幕府の開設から1867年の大政奉還まで近世文学時代の区分1603年の江戸幕府の開設から1867年の大政奉還まで近世文学の時代背景•幕藩体制•鎖国政策•城下町と町人文化の発達•朱子学の確立文学の特徴•文運東漸•町人の文学•商品化の文学近世主要文学ジャンルの代表作品1、仮名草子2、浮世草子:井原西鶴『好色一代男』3、俳諧・紀行:松尾芭蕉『芭蕉七部集』『奥の細道』4、川柳:柄井川柳『俳風柳多留』5、前期読本:上田秋成『雨月物語』後期読本:滝沢馬琴『南総里見八犬伝』6、劇文学(浄瑠璃):近松門左衛門『曽根崎心中』大政奉還•慶応2年(1866)、徳川第15代将軍慶喜が幕府の内憂外患に直面して、翌年(1867)遂に征夷大将軍の職を辞し、政権を朝廷に奉還した。これにより、江戸幕府としては265年、鎌倉幕府から数えて682年をもって武家政治は終末を告げ、所謂王政復古となった。文運東漸•近世の文学は一般的に前期と後期に分けられる。前期においては、文化や文学の中心は京阪を中心とした上方にあったが、宝暦(1751-1763)・明和(1763-1771)あたりを境として、文化の中心が江戸に移っていく。この現象を文運東漸と呼ぶ。前期の上方文学•上方文学期は近世文学の最盛期である。初期はまだ中世的精神を基盤としたものもあったが、次第に庶民を主体とするものへと発展していった。•俳諧では、京都の松永貞徳を中心として貞門俳諧が行われ、更に大阪の西山宗因が町人らしい自由奔放な談林俳諧を開いて民衆の心に浸透させていった。この二つの影響を受けながらこれを超克した松尾芭蕉は、元禄のころ、平俗の中にも「さび」・「しをり」・「かるみ」といった美があることを提唱し、蕉風俳諧を確立した。•小説では、室町期の御伽草子、京都を中心に刊行された仮名草子の後を受け、談林俳諧から出た大阪の井原西鶴が、当時の町人の世相・生活を活写して、浮世草子と呼ばれる新しい小説の一体を開拓した。•劇作文学では、歌舞伎が度々幕府の禁令を受けながら、この期にその基礎を確立した。一方、浄瑠璃では近松門左衛門の手により、目覚しい成長を遂げた。後期の江戸文学•文運東漸は単に作者及び出版の中心の地域的移動というだけでなく、近世小説の質的転換、或いは新ジャンルの形成を伴っているところに大きな意味がある。新ジャンルというのは、仮名草紙・浮世草紙、読本などの戯作と称する一群の小説である。商業の繁栄した江戸では町人好みの戯作文学がはやり、文学の質が低俗化していく傾向が著しかった。こうした雰囲気の中で、与謝蕪村らが蕉風復興に努力したが、世態・風俗をとらえる風刺・滑稽な川柳と滑稽な趣を読み込んだ諧謔の狂歌が大いに流行した。商品化の文学•上述の文学作品は商品として広く普及するようになったが、その背景には、寺子屋など庶民教育の普及の充実により、識字率が向上して読者層が厚くなったこと、そして、印刷技術の発達によって多くの部数が出版できるようになったことがある。そんな土壌に支えられて、文学作品が商品として成り立つようになった。幕藩体制•幕藩体制とは、近世日本の社会体制のあり方である。江戸幕府を全ての武士の頂点とし、最高の統治機関としながらも、各大名がそれぞれの領地においてある程度独立した統治機構(藩)を形成していることと、米などを現物で納めさせて年貢とする石高制をその基礎においていることが特徴である。諸大名を親藩、譜代、外様に分け、参勤交代や改易によってこれを統制した。また、士農工商などといわれる身分制度によって武士を支配階級に位置づけた。参勤交代•江戸幕府の大名統制策の一つであり、原則として、一年交代で諸大名を江戸と領地と住居させた制度である。1635年の武家諸法度改定により制度化された。往復や江戸屋敷の経費は大名財政を圧迫したが、交通の発達や文化の全国的交流を促すなど各方面に影響を与えた。近世の身分制度•近世は宗教が支配した中世社会と違って、儒教の道徳が支配した社会である。長い戦乱後に社会を安定にするため、幕府は儒教を政治の指導原理として選択し、士・農・工・商・穢多・非人という厳しい身分制度で人々を縛り、それに世襲制によって固定化した。城下町と町人文化の発達•城下町とは、戦国時代から江戸時代にかけて、大名の居城を中心に発達した市街。•戦乱が終わって平和な世の中となったために、全国的に交通網が整備され、各藩も自給自足的な経済にとどまることはできず、商業が目覚しく発展した。それとともに、武士の保守的な伝統文化の枠内には求められない自らの文化的欲求を持つようになった。文学を生み出す力が、貴族や武士の手を離れて民衆の側に移ったことは、近世の文学をそれ以前の文学と区別する最も大きな特色である。鎖国政策•江戸幕府が封建体制を強化するためにキリスト教禁止を名目として日本人の海外交通を禁止し、外交・貿易を制限した対外政策である。ならびに、そこから生まれた孤立状態を指す。実際には孤立しているわけではなく、朝鮮、琉球王国、中国とオランダとは交流があった。朱子学•平和が回復すると、幕府は幕藩体制を維持・強化するため、君臣の名分を強調する朱子学が武家政治の基礎理念として再興され、江戸幕府の正学とされた。儒学は現実的な学問であったから、来世に対する信仰の薄くなった江戸時代にはよく適し、現実に即した生き方や、日常生活に基づく物の考え方が成熟し、仏教の思想にかわって思想界の王者となった。町人の文学•近世文学では、商品経済と印刷技術の著しい発達によって、文学作品が商品として広範囲に流通するようになり、写本の時代に貴族しか読めなかった本は多量に出版され、支配層の専有物ではなく、庶民のものとなっていく。作者層・読者層が町人まで拡大したことは、近世文学の性格に大きく影響している。近世文学の主流は、浮世草子、俳諧・狂歌などの俗文学であり、現世肯定的な享楽性に富んだ庶民的な文学である。•この時代の文芸思想は義理人情と勧善懲悪などで、追求した美的な理念は、市民社会が自ら求めたわび・さび・軽み・いき(粋・通)などであった。思想や論理道徳は為政者の意に沿う形で鼓吹された場合もあるが、この時代の文学は庶民の感覚に根づくものであった。仮名草子•仮名草子とは、主に仮名を用いて書かれた読み物で、中世の御伽草子の流れを汲み、啓蒙的な色彩を多量に含む江戸初期の通俗文学の総称であり、内容は教訓・啓蒙・娯楽などを目的とする。文学的には未熟であるが、印刷術の発達によって、広く流布されるようになり、次の浮世草子という庶民の小説を生むものとなった。浮世草子と好色•浮世:仏教的な生活感情から出た「憂き世」と漢語「浮世(ふせい)」との混交した語。「無情の世」「この世の中」「享楽の世界」などの意。•浮世草子とは、元禄時代(1688-1704)を出発点として、明和(1764-1772)のころまで約百年間、上方を中心として当代の享楽生活や好色風俗などを積極的に取り上げる写実的な風俗小説である。•好色:平安時代に定着した文学理念、特に『源氏物語』が爛熟に達せられたが、中世になると、儒学的な武士道精神と対立する間に、さらに発展された。時代や道徳などを超越し、純粋な精神を主とした人文精神となり、即ち、「粋」と「通」によって表現された哀れや風雅で、人間の愛や自由への追求を表す。読本•絵を中心として、文章で説明を付けた絵本草紙に対して、読むのを主にした小説。江戸時代後半期の小説の一種。実際に浮世草子が衰え始めた18世紀中ごろから現れたのである。また、上方を中心としたものを前期読本、江戸を中心としたものを後期読本と読んでいた。