12006年1月日本文化一是名词解释共20分铜剣弥生時代の初期に朝鮮半島より伝えられた。伝わった時点の銅剣は細身で鋭いデザインであり、純粋に武器として使用された可能性がある。その後、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、主にとして、儀式(ぎしき)に使用されたと考えれている。作成時期により三種類に分けて、初期の細形、中期の中細形、後期(こうき)の平形と分類されている。传说在弥生时代的初期出现于朝鲜半岛。最初的铜剑剑身细长且锐利,被纯粹的作为武器来使用。之后,整个弥生时代铜剑的制造日益繁盛,主要在仪式上被使用。从作成开始,被分为三种:初期的细形,中期的中细期,后期的平形三大类。公地公民制大化改新の詔(しょう)によって、私地私民制を廃し、すべての土地、人民を国家すなわち君主(くんしゅ)の所有とし、私有を認めいない制度である根据大化改新之诏,废除土地私有制,所有的土地,人民都归国家也就是说君主所有,私有不被认可的制度被称为土地公民制。院政白河天皇は幼少(ようしょう)の堀河天皇に譲位したのち、自ら上皇としてその御所(ごしょ)に院庁(いんのちょう)を開き、天皇を後見(うしろだて/こうけん)しながら政治の実権を握ることである。白河天皇时让位给幼年的堀河天皇之后,自己作为上皇在皇宫设立了院厅,在辅助天皇的同时握有政治实权。俳諧滑稽、面白い和歌のこと。連句、発句(はっく:漢詩で、絶句の第1句、律詩の第1・2句。和歌の第1句、または第1・2句。)の総称である。滑稽,有趣的和歌。是连句,起句的总称。二是简答题每题15分冠位十二階が実施された目的は何か聖徳太子は603年冠位十二階を定め、役人にその位によって、12に分けた冠位を与えた。家からに関係なく、才能や手からのある人を朝廷の役人に取り立てようとした。天皇の中央集権を図るのは最終的な目的である。圣德太子在603年制定出冠位十二阶,根据官员的职位,分为12等。各等级官员与出身无关,根据才能,本领被选拨为朝廷的官员。以集中天皇的中央集权为最终目的。「荘園」経済は当時の政治にどんな影響を与えたか荘園は、奈良時代に律令制下で農地増加を図るために墾田私有を認めたことに始まる。平安時代には、まず小規模な免税農地からなる免田寄人(よりうど)型荘園が発達し、その後、皇室や摂関家・大寺社など権力者へ寄進(きしん)する寄進地系荘園が主流を占めた。鎌倉時代には、守護・地頭による荘園支配権の簒奪(さんだつ)が目立ち始めた。室町時代にも荘園は存続したが、中央貴族・寺社・武士・在地領主などの権利・義務が重層的かつ複雑にからむ状況が生まれる一方、自立的に発生した村落=惣村(そうそん)による自治が出現し、荘園は緩やかに解体への道を歩み始めた。戦国時代には戦国大名による一円支配が成立、荘園の形骸(けいがい)化はますます進み、最終的に羽柴秀吉の全国的な検地によって荘園は解体した。2庄园是奈良时代在律令制下以增加农地为目的起始于垦田私有制。在平安时代,首先小规模的免税农田发展为免田寄人型庄园。之后,向皇家,摄关家・大寺社等权力者捐赠的捐赠系庄园占主流。镰仓时代,守护・地头篡夺庄园的支配权显著起来。室町时代时庄园也继续存在,一方面中央贵族・寺社・武士・在地领主等产生出权利・义务多层渴望复杂相缠的状况,另一方面自立的产生了村落→惣村自治,庄园开始缓慢的解体。到战国时代由战国大名一门支配,庄园更加成为一种形式,最终因羽柴秀吉全国范围的检地面彻底解体。室町文化にはどんな特徴があるか優美で伝統的な公家文化と、力強く素朴な武家文化が溶け合い、中国の宋、元、明の文化や禅宗(せんしゅう)の影響を受けて、簡素で深みのある文化が生まれた。また、さまざまな文化の融合も進み、しだい(至大)に民族的文化というものが形成されていった。今日の日本の伝統文化を代表するものとされる能(のう)・狂言(きょうげん)・茶の湯・生け花などの多くは、この時代に中央・地方を問わず、公家・武家・庶民の別なく愛好され、形を整えて基盤を確立していった。また、この時代には庶民の文化も起こった。优美传统的公家文化与强有力朴素的武家文化溶合在一起,受中国的宋,元,明的文化,禅宗的影响,产生了简朴却意义深远的文化。另外,各种各样的文化逐渐融合,形成的至大的民族主化。现在日本的传统文化的代表能・狂言・茶道・插花等多数是在室町时代不拘中央・地方,不问公家・武家・庶民,被整理出最初的形式面确立起来的。庶民文化也起源于室町时代。江戸幕府は17世紀初頭にどのような貿易政策を実施したか1、朱印船貿易を引き継ぎ、西国大名や京都・大坂・堺・博多・長崎の大商人に朱印状(渡航許可証)を与えて東南アジアやヨーロッパの国々と貿易を行いました。继承朱印船贸易,西国大名(九州),京都・堺・博多・長崎的大商人取得朱印状到东南亚,欧洲等国家进行贸易。2、1635年に、日本人の海外渡航禁止令が出されたことで朱印船貿易は終結を迎えます。1635年,随着日本人发出海外渡航禁止令,迎来了朱印船贸易的终结。3、江戸幕府の鎖国体制下(海禁政策下)では、例外的にオランダと中国だけが『長崎の出島(でじま)』で貿易を行なうことが許されました。在江户幕府的锁国体制下,荷兰和中国做为例外,在长崎的出岛的贸易被许可(a、江戸幕府は17世紀初頭の外交はキリスト教を禁じるが、平和貿易は奨励する方針であった。b、このような活発な海外貿易も幕府体制が固まるにつれて、日本人の海外渡航(とこう)や貿易に制限が加えられるようになった。c、最後は日本人の海外渡航と在外日本人の帰国も禁止し、明船の寄港を長崎に限った。)a、江户幕府是17世纪初的交外上,禁止基督教,以平和贸易为奖励作为方针。b、随着这种活跃的海外贸易对幕府的体制稳固的,日本人在海外渡航,贸易上的制限更进了一步。C、最后,日本人的海外渡航与在外日本人的归国也被禁止,明船的寄港仅限于长崎。三是论述题20分近世日本の蘭学はどのような学問か江戸中期以降、オランダ語によって西洋の学術を研究しようとした学問。日本人が漢文書から西方の天文、暦学の知識を受け入れ、オランダ書籍から西方の植物学、動物学などを接触した、それ以後、西方の外科学、軍科学、物理学、化学、農学などを絶え間なく日本に転入する。これはすべて蘭学という。江户中期以后,因荷兰语而对西洋学村进行研究的学问。日本人通过汉文书了解到西方的天文・历史的知识,又通过荷兰书藉接触到西方的植物学・动物学等,之后西方的外科学・军科学・物理学・化学・农学等不断3的传入日本,这些统称为兰学。2006年10月日本文化一是名词解释共20分銅鏡銅鏡は北九州で特定の甕棺墓(かめかんぼ)から出土して、その多くは中国漢代の漢式鏡である。铜镜在北九州从特定的瓮棺墓中出土,大多像中国汉代的汉式镜。遣唐使遣唐使とは、倭国(わこく)が唐に派遣した朝貢使(こうし)のことと言う。国際情勢や大陸文化を学ぶために、十数回にわたって日本から唐へ派遣された公式使節である。大使、副使ら普通5、6百人が数隻(せき)の船に分乗して、2.3年が仮で往復した。630年は初めて派遣されて、唐末の戦乱のため、894年廃止である。遣唐使是日本向唐派遣的朝贡使。为了了解国际情势,学习大陆文化,前后数十次日本向唐派遣公式使节。大使,副使等一般有5,6百人分乘于数艘船只,花费2,3年往返。于630年初次派遣,后来因唐朝末年的战乱,于894年被废止。軍記物語合戦を主として時代の展開を写した叙事詩的文学。鎌倉(かまくら)時代に多く作られ、保元物語・平治物語・平家物語・太平記などがある。主として和漢混淆(こんこう)体。以合战为主题,描写时代的展开的叙事文学。多创作于镰仓时代,有保元物语・平治物语・平家物语・太平记等。主要是和汉混合体。古文辞学派荻生徂徠(おぎゅうそらい)の学説を古文辞学派と称する、また萱園学派も言う。主に儒学(じゅがく)は「経世之学」のことを強調して、礼樂制度を開設した尭舜(ぎょうしゅん)先王を貴ぶ(とうとぶ)ことを出張する、儒者の本務は尭舜先王の古典を正確的に理解と記録する。荻生往来的学说被称为古文辞派,另外,又被称为萱园学派。主要强调儒学的“经世之学”,主张尊重开设礼乐制度的尧舜先王,儒者的本分是正确理解与记录尧舜先王的古典。二是简答题每题15分いわゆる三種の神器どのようにできたのか三種の神器(じんぎ)は歴代の天皇が皇位の印として受け継いだという三つの宝物(たからもの)である。八咫鏡(やたのかがみ)、草薙剣(くさなぎのつるぎ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)の三つである。三种神器是历代天皇继承皇位的印即三种宝物,分别是八尺镜,草薙剑,八尺瓊勾玉三种。鎌倉の仏教はどんな特徴がありますか1、武士階層の精神追求を表す。反映武士阶层的精神追求。2、庶民の宗教信仰方式に合わせる。适应庶民宗教信仰方式。3、戦乱時期の社会気風を表す。反映战乱时期的社会风气。4、宋元の仏教文化を直接吸収された。直接吸收宋元的佛教文化。4鎖国令の目的は何ですか1、貿易統制を通じて幕政を強化する。通过统制贸易强化幕政。2、幕府が集権的な近世封建制支配を貫徹するために、それと相いれないキリシタンを、政治的あるいは軍事的に結合する危険のある反幕諸勢力とを排除するために、鎖国が行われた。为了贯彻以幕府为集权的近代封建制支配,与天主教的矛盾与政治或者军事相结合,为排除危险的反幕势力,制定了锁国政策。3、日本独自の文化と国内産業の発達を促すためである。为了促进日本本土文化及国内产业的发展。4、、江戸幕府がキリスト教や外国勢力を恐れ、海外通交の統制をはかるためである。(鎖国令の内容:1、日本人の海外渡航を禁止する。2、キリシタンに関する一切の活動は禁止する。3、外国来航の船に対する管制を強化する。)江户幕府恐惧基督教等外国势力,为统制海外交通为目的(锁国令内容:1:禁止日本人海外渡航;2,禁止与天主教相关的一切活动;3,强化外国来航的船只管制)南蛮文化は日本にどんな影響がありますか1、宗教思想方面は多神教から汎神教に変わる。宗教思想方面由多神教变为泛神教。2、倫理道徳方面は一夫一妻(いっぷいっさい)などの道徳を伝えている。伦理道德方面变为一夫一妻制3、科学技術方面は太陽暦の採用、油絵や銅板などのものを紹介されている。科学技术方面采用太阳历,油画,铜板被介绍使用。4、西方芸術の方もいろんなものが入った。西方艺术也被传入三是论述题20分町人文化の形成された背景は何ですか1、知識の開発が広く庶民層にも及んだ。知识的开发被广泛普及至庶民层。2、町人の経済と社会的地位の向上。町人的经济及社会地位有所提升3、商品経済の発展によって、封建社会の確立が可能になる。商品经济的发展使封建社会的确立成为可能。4、人口が都会に集中する。人口集中在城市5、武士の創造力を抑制される。抑制了武士的创造力2007年10月日本文化名词解释每题5分共20分銅鐸(どうたく)銅鐸は中国の編鐘(へんしょう)を祖形とした楽器が起源とされるが、朝鮮半島から伝わった。近畿地方を中心に中部地方の西半・中国四国の東半にかけて出土する青銅製祭器である。铜铎是以中国的编钟为祖形作为起源的乐器,传自于朝鲜半岛。主要出土于以近畿地方为中心的中部地方的西半・中国四国的东半的青铜制祭器。大化改新大化元年(645)夏、中大兄皇子(のちの天智天皇)を中心に、中臣(藤原)鎌足ら革新的な朝廷豪族が蘇我大臣家を滅ぼして(ほろぼす)開始した古代政治史上の大改革。孝徳天皇を立て都を難波に移し、翌春、私有地・私有民の廃止、国・郡・里制による地方行政権の朝廷集中、戸籍の作成や耕地の調査による班田収授法の実施、調・庸など税制の統5一、の4綱目から成る改新詔を公布、古代東アジア的な中央集権国家成立の出発点となった。大化元年(645)夏,中大兄皇子联合中臣(藤原)镰足等革新派朝廷豪族发起政变,刺杀苏我大臣家发起了政治变革。孝德天皇即位后,迁都难波。第二年春,颁布改新诏制废除豪族对土地・部民的制有私;国・郡・时制等地方行政权向朝廷