日本文学史(上)Mar14Student

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日本文学史(上)復旦大学外文学院日文系(2010年~2011年第二学期)時代区分•上代(古代前期)大和・奈良時代•中古(古代後期)平安時代•中世鎌倉・室町時代・安土桃山時代•近世江戸時代•近代明治~大正~昭和時代上代文学概観•範囲:政治・文化の中心が大和(奈良県)にあった時代、文学の誕生から平安遷都(794年)のころまで。•歴史的背景:四、五世紀ごろには大和朝廷のもとに一国家が統一誕生。大化の改新や壬申の乱を経て天皇の権威が安定。•文化的背景:七、八世紀には遣隋使、遣唐使が派遣され、大陸文化がさかんに流入した。特に漢字の伝来によって文字を記すことができるようになり、八世紀には『古事記』、『日本書紀』などが生まれるに至った。上代文学主要作品•口承文学から記載文学へ•口承文学外界に広がる自然の中に、超人間的な力のあらわれを見いだす→神の力として畏れ敬う→祭りの起源(共同体社会の安定と生産の豊饒)祭りの場で語られる神聖な詞章(呪言や呪詞)が文学の原型→言語表現として自立・洗練していく→文学の誕生祭りの場における文学神話‐神にかかわるさまざまな語り伝え伝説‐より歴史的・人間的な語り伝え(神話より広義の概念)歌謡‐神への祈りや感謝をあらわすうた記載文学-『古事記』、『日本書紀』、『風土記』(神話・伝説の集大成)-『祝詞(のりと)』・『宣命(せんみょう)』(言霊信仰(言葉に宿る霊力)による祭祀文学の発達)-『万葉集』(歌謡から派生した和歌が独自な達成を遂げたもの・詩歌形態の確立)-『懐風藻』(中国文化の影響による漢詩文の隆盛)『古事記』•現存する日本最古の叙事的文学•和銅五年(712年)成立•天武天皇の命で稗田阿礼(ひえだのあれ)が誦み習っていた帝紀や本辞を、元明天皇の命で太安万侶(おおのやすまろ)が採録したもの•三巻から成る上巻:天地創造から神武天皇の誕生まで中巻:神武天皇から応神天皇まで下巻:仁徳天皇から推古天皇まで•古代歌謡(口承文学の歌謡が発達したもの)が採録されている(約110首)→記紀歌謡•純粋な漢文体で記された序文以外は、漢字の音訓をまじえた変則の漢文体で記されている→語り継がれた本来の国語を忠実に伝える•歌謡や重要な語句は万葉がなによる一字一音式の表記『日本書紀』•編年体の歴史書•養老四年(720年)成立•元正天皇の命で舎人親王が中心となって編集•全三十巻から成る(神代から持統天皇まで)•六国史(りっこくし)の最初のもの日本書紀、続日本紀、日本後記、続日本後記、日本文徳天皇実録、日本三代実録•古代歌謡(口承文学の歌謡が発達したもの)が採録されている(約130首)→記紀歌謡•歌謡以外は純粋な漢文体古事記と日本書紀の比較古事記日本書紀成立和銅五年(712年)養老四年(720年)編者稗田阿礼が誦み習い、太安万侶が採録舎人親王巻数三巻三十巻目的国内的な思想統一、皇室の威信を示す対外的に日本国の威信を示す特色神話、伝説、歌謡を多く収め、文学的要素が強い史実を重視し、歴史的要素が強い表記漢字の音訓をまじえた変則の漢文体純粋の漢文体『風土記』•元明天皇が諸国に命じてその国の地誌を編纂させたもの•地名の由来、産物、地勢、古老の伝承などの記録•現存するものは『出雲国風土記』を含めた五風土記(『常陸国風土記』、『播磨国風土記』、『豊後国風土記』、『肥前国風土記』*風土記に記された有名な伝説『出雲国風土記』の国引伝説『丹後国風土記』の浦島子伝説•『日本霊異記』説話文学の先駆薬師寺の僧、景戒の編による仏教説話を集め、因果応報の道理を説く•『高橋氏文』(古伝説集)『古語拾遺』(古伝記集)氏族の伝承を伝える記録。氏族間の抗争に際して、自氏の威信を示すために編集『祝詞』・『宣命』祝詞(のりと)祭りの言葉である呪言や呪詞が、儀礼化され、洗練され、長大な詞章として完成されたもの天皇が臣下にかわって神に祈る言葉文章は荘重厳粛で美しく、韻律もととのっている宣命(せんみょう)国家の重大事などに天皇が臣下に下した詔勅文『万葉集』•現存する日本最古の歌集•八世紀後半成立•編者未詳(最終的に大伴家持が関わったと言われる)•二十巻、約四千五百首の作品•歌体はおもに短歌(九割以上)、長歌、旋頭歌、仏足石歌•雑歌、相聞、挽歌の三部立•作者は天皇から一般庶民にいたるまであらゆる階層•日常生活に即して素朴な感情を率直に表現•万葉がなを用いる『万葉集』歌風の変遷第一期(初期万葉)•舒明天皇の時代(629から641年)から壬申の乱(672年)まで•素朴ながらも清新で明るくのびのびとした調べが特徴•歌体も五音・七音の定型に落ち着き始める•代表歌人は、舒明天皇、天智天皇、額田王額田王•生没年未詳。鏡の王の娘。はじめ大海人皇子(天武天皇)に愛されたが、天智天皇の後宮に仕え、壬申の乱後ふたたび天武天皇の妃となった。•当代随一の女流歌人として異彩を放つ「あかねさす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」(額田王巻一)(口語訳)紫草の生えているあの御料地の野を行きながら、あなたが袖をお振りになるのを、野の番人はみていないでしょうか第二期•壬申の乱後から平城京遷都(710年)に至るまでの約40年間の時期•持統・文武天皇を中心とする藤原京全盛時代•和歌には題材も拡大し、力強さ・重厚さが加わる•枕詞、序詞、対句などの表現技巧が発達し、長歌、短歌などの形式が完成•代表歌人は、柿本人麻呂、高市の黒人ほか柿本人麻呂•生没年未詳。専門的な宮廷歌人•雄大な構想、荘重な調べを持つ格調高い作品•長歌様式の完成者•「万葉集」最大の歌人とされ、第三期の山部赤人とともに“歌聖”と称された•編歌集に「柿本人麻呂歌集」がある第三期•平城京遷都(710年)から天平五年(733年)までの約20年間(奈良時代前期)•仏教、儒教、老荘思想などの伝来により知的な傾向が増し、繊細で複雑な表現があらわれる•皇室歌人は減ったが、作者層と歌風は多様に分化•万葉歌風の最盛期•代表歌人は山部赤人、山上憶良、大伴旅人ほか山部赤人•生没年未詳•叙景歌にすぐれた自然歌人•第二期の柿本人麻呂とともに“歌聖”と称される山上憶良•660年~733年•遣唐使に加わって渡唐、のち筑前の守となる•社会の矛盾や人間愛をうたう•思想歌人第四期•天平六年(734年)から天平宝字三年(759年)までに至る約25年間(奈良時代中期)•感傷や優雅に傾き、技巧のこらされたものが増える•爛熟した古代文化のかげで、政治的な行き詰まりに対する動揺や不安がひろがり、その反映として和歌は力強さを失っていく•繊細、優美な歌風で理知的・技巧的•代表歌人は大伴家持大伴家持•718年~785年•第三期の大伴旅人の子•因幡の守・越中の守を歴任するが晩年は没落していく名門大伴氏の長として悲運であった•繊細、優美、感傷的な歌風『万葉集』のもうひとつの側面古代の民衆たちの歌を数多く伝えていること•東歌(あずまうた)東国の民謡的な歌で、方言を交えた素朴な調べで地方民衆の生活感情を歌う•防人歌(さきもりうた)辺境防備のため、東国から徴発された兵士たちの歌で、肉親との別離の悲しみを歌う『懐風藻』•天平勝宝三年(751年)成立•現存する最古の漢詩集•中国の制度を模した律令制度のあり方からしても、漢詩文の知識と創作は必須の教養•伝統の和歌に対する新文学として、公的な位置を獲得中古文学概観•範囲:794年の平安京遷都から1192年の鎌倉幕府成立までの約400年間•歴史的背景:藤原氏の栄華が11世紀後半になって頂点に達する。娘たちを妃に立てて外戚政策をとるが、中流貴族の中から学問・教養のあるものを女房として妃に使えさせ、それが宮廷女流文学を生みだした•文化的背景:中古初期には唐の政治・文化を積極的に取り入れたが、900年を過ぎると、かな文字も普及し、国風化の傾向が強くあらわれる中古文学の発達•第一期(九世紀中ごろまでの約60年間)大陸・唐文化の影響の下に勅撰三集が編纂された(『凌雲新集』、『文華秀麗集』、『経国集』)漢詩文の全盛期•第二期(十世紀中ごろまでの約100年間)唐風の規範を脱しようとする気運がおこり、国風文化の傾向が強くあらわれた。和歌の開花(勅撰集『古今和歌集』・“歌合”(うたあわせ)の流行)かな文学の成立(作り物語『竹取物語』、歌物語『伊勢物語』)(日記『土佐日記』)•第三期(十一世紀中ごろまでの約100年間)宮廷女流文学の最盛期物語文学の大成(『源氏物語』)随筆文学の発生(『枕草子』)女流日記文学の隆盛(『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』)•第四期(十一世紀後半からの約140年間)貴族社会が退潮してく中で新しい文学形態が見出されていく貴族社会の華やかな過去を回顧する歴史物語(『栄花物語』、『大鏡』)新興の武士階級や庶民も登場する説話集(『今昔物語集』)庶民の歌謡や今様を集めた歌謡集(『梁塵秘抄』)•詩歌(1)漢詩文(2)和歌①最初の勅撰和歌集『古今和歌集』②『古今和歌集』後の勅撰和歌集③『古今和歌集』後の私家集(3)歌謡①神楽歌②東遊歌③催馬楽④風俗歌⑤朗詠⑥今様•物語(1)作り物語(『竹取物語』、『宇津保物語』、『落窪物語』、『源氏物語』)(2)歌物語(『伊勢物語』、『大和物語』、『平中物語』)(3)歴史物語(『栄花物語』、『大鏡』)•日記・随筆(1)日記(『土佐日記』、『蜻蛉日記』、『和泉式部日記』、『紫式部日記』、『更級日記』、『讃岐典侍日記』)(2)随筆(『枕草子』)•説話『今昔物語集』漢詩文•平安時代に入り、唐風文化摂取への意欲が一段と高まり、九世紀の唐風謳歌の時代(国風暗黒時代)が出現•三つの勅撰漢詩集が相次いで編集『凌雲新集』、『文華秀麗集』、『経国集』•平安中期以降、衰退の傾向を強めた•代表的な詩人は、嵯峨天皇、空海、菅原道真*菅原道真(845年~903年)漢詩人・歌人・学者平安前期の貴族の家に生まれ、宇多天皇の信任を得て異例の出世を遂げ、右大臣に昇進。藤原時平との抗争に敗れ、大宰府(現在の福岡県)に流されその地で亡くなる。詩文集『菅家文草』と『菅家後集』は後世にも大きな影響を与えた和歌•平安初期の国風暗黒時代、漢詩文隆盛のかげで衰微•九世紀末頃から復興し、漢詩文と肩を並べる宮廷文学として興隆•興隆の原因国風文化再認識の風潮かな文字の発達貴族の間で歌合が流行『古今和歌集』•延喜五年(905)成立•醍醐天皇の勅命による最初の勅撰和歌集•撰者→紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑•歌数→二十巻、約1100首•序文→かな文で書かれた「仮名序」と漢文で書かれた「真名序」•特色→優雅な貴族生活を反映し、表現は優美・繊細で洗練されている『古今和歌集』歌風の変遷第一期(詠み人しらずの時代)•平安時代初頭(850年頃)までの作と思われる•『古今和歌集』全体の約四割を占める•『万葉集』から『古今和歌集』への過渡的な歌風•素朴な五七調の歌が多い春日野はけふはな焼きそ若草の妻もこもれりわれもこもれり(詠み人しらず)第二期(六歌仙の時代)•嘉祥三年から寛平二年(850年~890年)頃までの六歌仙活躍の時期•六歌仙→在原業平、小野小町、僧正遍昭、文屋康秀、喜撰法師、大伴黒主•七五調が優勢となる•縁語、掛詞などの表現技巧を駆使して優美な感情を表現•『古今和歌集』の歌風がほぼ確立花の色はうつりにけりないたづらにわが身世にふるながめせしまに(小野小町)世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし(在原業平)第三期(撰者の時代)•寛平二年から延喜五年(890年~950年)頃までの撰者たちの活躍の時期•古今歌風の完成期•縁語、掛詞、比喩などの修辞が多用され、表現方法は一段と洗練された•擬人法などが駆使され、言葉の機知を尊ぶ傾向が著しくなった•流麗な七五調•優美で理知的な古今歌風を築いた•該当する歌人は、紀貫之、紀友則ほかひとはいさ心も知らず故郷は花ぞ昔の香ににほひける(紀貫之)久方の光のどけき春の日にしづこころなく花の散るらむ(紀友則)『古今和歌集』後の勅撰和歌集•『古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