第七課感想文・意見文制作人:张理夏本课要点1.概说2.写作要点3.例文4.练习一、概说日文中将如实地把自己的感受和所思所想表达出来的文章称为感想文。感想文可以分为两种:①基于亲身体验的感想文。针对自己身边的各种事情和发生的事件,将自己内心的感受和所思所想进行归纳性写作,这样的感想文也称作随笔。如:日常生活体验、旅行见闻、自己耳闻目睹某事件时的看法和感想等。②基于间接经验的感想文。如读书、看电影、听他人的讲话或听音乐、广播后的感想,即读后感、观后感等。根据某件事情或者某个问题提出自己的观点、意见的文章也称为意见文。意见文主要包括提出事实、分析原因、阐明意见和观点三个部分。感想文、意见文的区别:以所见、所听或所读之书为根本,抒发自己的感情和思想的文章是感想文;以论述自己的意见和观点为主的文章是意见文。返回二、写作要点★感想文的写作要点――感想文最重要的是如实地记述自己的所思所想,将自己独到的见解、想法和观点表达清楚。感想文的形式大体有以下两种:1、读后感类感想文:①起――为何要写该文的理由和背景。②承――简洁介绍所读读物的大致主题和内容。③转――所思所感。④结――强调和总结自己最想表达的思想和观点。2、体验类感想文:①起――简单叙述体验及感动的主要内容。②承――感动的原因、理由。③转――通过体验自己的所思所想。④结――结论及对今后的展望。★意见文的写作要点:①在文章的开头和结尾处提出自己的意见和观点。观点要鲜明,有特点。②提出此意见和观点的理由和根据(包含具体的事例、事实和经验等)。③列举出相反的观点和意见,指出其缺点或欠缺之处。④对比和比较正反两种观点,提出赞成此意见和观点的根据。注意应广泛取材,让自己的观点有说服力。⑤在分析原因、阐明意见时,要准确使用推测、断定的表达形式。日文写作中,尤其要注意接续词的用法。如:由反对意见转换成正面观点时使用「しかし」、表示结论时使用「よって」等接续词。返回三、例文●意見文例文1日本の食と農のあり方に思う農業高校で学ぶ私のマイブーム…それは、「農」と「食」をもっと原点から見つめることです。私は、山鹿市菊鹿町に生まれ、小さな頃から緑に囲まれ生きてきました。特に、記憶として鮮明に残っているのが小学校1年生の頃、初めて茶摘みに取り組んだことです。どきどきしながら摘みとった時のあの「ポキッ」という音、そしてこれがお茶になるんだなぁと幼いながらに感動したのです。摘み終えて数日後、お茶会があり、先生からお茶の入れ方を教わり、自分の力でお湯を注ぎ飲んでみました。それまで緑茶が全く飲めなかった私ですが、自分で摘みとったお茶が美味しかったこと。それからは、毎日お茶を飲むたびにあの日のことを思い出します。自分で摘んで、入れたお茶-すごく当たり前のようなことが幼い私には、「農業と植物」をつなぐ貴重な体験になったのです。そんな私も高校3年生、現在、科目「課題研究」の一環で保育園、幼稚園、小・中学校総勢239名の子供たちと食農交流活動に取り組んでいます。多くの人が苦手にしている野菜「ニガウリ」を種子から栽培、調理までを各学校を巡回し交流する活動です。まず、活動の中で取り組んだことは、農作業の方法を的確に伝える手段を考えることでした。保育園・幼稚園では、紙芝居を作り説明することにしました。紙芝居は、園児受けが良く好評でしたが、「作業」説明の紙芝居を物語として聞いてしまう園児も多く、深く種子を播いてしまうなど少し課題が残りました。小学生では、紙芝居での説明もよく聞いてくれ作業も要領良くできました。中学生では、ほとんど口答説明で短時間に作業を終えました。どの年齢の子供たちも真剣そのもので、高校生である私も緊張感が走りました。そのような食農交流活動の幅と社会との接点をもっと見つめるために5月、山都町で行われた「丸山農園の会」にボランティアで参加しました。日頃、地域で食農交流活動に取り組んできた思いと自信を胸に参加したのですが、自分自身の未熟さを痛感するものになりました。それは、知的障害者の方と一緒にサツマイモを植える時におきました。保育園、小学校等では、言葉で説明しこちらで実演すれば、次は自分でやっていけるのですが、知的障害者の方は、常に寄り添い作業を手伝う必要があるということです。100m程ある畝に時には、つまずきながら3時間におよぶ作業を終えたときには、畑全体に拍手が沸き起こりました。初対面での共同作業、お互い緊張しながらも互いに作業を進めていきました。その作業の中で笑顔がこぼれ、「農業と植物」とそして人とのつながる交流会になりました。その後、園児たちと行った「ニガウリ」の定植では、大きくなった苗を見て驚いたり、手にとって苗をじっと見つめたり、触ったりと小さな種子から大きな緑色の葉がどうやって出てきたのか信じられない様子でした。定植の手順がわからない子も多く、とまどう子の手を取り、一緒にやってあげると小さな声で「ありがとう」と笑顔で言ってくれたのです。ちょっとした心遣いで素直に感謝する心が宿るような気がしました。ある日、わき芽を取って管理のことを話すと「それ、誰のを取ったの?」と不安そうな目で見つめ、他の子は「ねぇねぇ、赤ちゃんニガウリがなったよ。」と自慢げにニガウリの絵を見せながら、自分の鉢に案内してくれました。子供たちは、ニガウリの変化が毎日楽しみで登園する途中によって観察するなど、徐々に「植物」に対する興味が高まり、「自分のニガウリ」だという思いが生まれてきたようです。それは、保護者の方にも現れ、毎朝お米のとぎ汁をペットボトルに入れ、幼稚園で子供と一緒に水かけに使用しているそうです。また、幼稚園での「カレーパーティー」では、今回子供たちに「ニガウリカレー」をプレゼントしようと思い調理法の研究をしました。園児からは、「苦くない、おいしいニガウリのカレーを作って下さい!」と頼まれたものの実は、私自身、ニガウリが苦手なのです。調理法は、自分自身が実験台となり、「私が、大丈夫なら…子供たちも!?」そんな思いと楽しみにしている子供たちの笑顔を思い出しながら、苦み解消の改善策に取り組んできました。試作品が完成し学校の先生方に試食してもらうと、「苦みが気になるからトウモロコシでもいれてみたら?」等と感想やアドバイスをいただきました。そこでそれを参考に悪戦苦闘しながらも何とか、苦みの少ないトウモロコシたっぷりの美味しいカレーが出来上がり、当日、試食してもらいました。ニガウリを嫌いな園児はとても多かったので、私も子どもたちも緊張した様子でしたが…「おいしい!苦くない!100点満点」と言ってどんどん食べてくれました。それまでの緊張が一瞬で消え、うれしくてうれしくてたまりませんでした。その後、連携先の園長先生からは『「給食のトマトは農高のお姉さんたちが作ってくれたものですよ」と話すと子どもたちは残さず食べてくれます。日頃、皆さんが交流に来てくれるので農高にとても親近感を持っているんですね!』という有り難い言葉をいただき、保護者の方からも野菜嫌いのうちの子が家でも「ニガウリカレー作って…」といって食べるようになったと聞いたときには、感動しました。この食農交流活動を通して、子供たちに生命を育てることの大変さや楽しさそして、他の生物への優しさを教え、「農」と「食」とのつながりを今、体感させている-そのことは、私自身が茶摘みで抱いた「農業と植物」との関係と同じものになっていると実感します。この取り組みから私自身の将来の夢が見えてきました。それは、「農と食」とをつなぐ栄養士です。食材に培う「農」の心を私なりの感性で多くの人へ伝えていくそんな栄養士になりたいと考えています。「食育基本法」が成立し、「食」を中心にした取り組みが今始まろうとしています。しかし、そのことが「農」を抜きにしたものにならないよう、基本は「農と食」とをつなぐ教育であることを胸に刻み、自分の夢へ向かって一歩一歩前進したいと思います。マイブーム-「農」と「食」をもっと原点から見つめたい!を一時のブームで終わらせないそんな活動をこれからも続けていきます。21世紀を担う子供たちのために…!●文例2感想文本気で「より子天使の歌声~小児病棟の奇跡~」の読書感想文「本気」。この言葉の正しい意味は知らない。しかし、私はこの夏、一つの「本気」と出合った。辞書を開いても見つける事の出来ない「本気」に。この本との出合い。それは、たまたま母が私に読ませようとこの本を買って来た、という単純なものだった。普段、私は母が私のために買って来た本なんて、表紙と目次以外、見た事がなかった。なのに、この本と出合った5時間後、私はこの本を書いている歌手のより子さんの世界にすっかり引き込まれていた。よりこさんの世界には、独特なオーラがあって、私がいつものように表紙と目次を見た瞬間、そのオーラは私を包み込んだ。こんな不思議な出合いは初めてだった。この本との出合いはまさしく「運命」なのだ。私とより子さんは、よく似ている。私にはよりこさんの姿が、私とだぶってくるのだ。社会の中にうまくとけこめない。集団生活が嫌い。そして、まわりと同じ事をするのが嫌いで、周囲に対して反発ばかりをした事。私も同じで、まわりがしない事をするのが好きだ。まわりに流されて、まわりと同じ事をしながら生きる事なんて絶対したくない、自分の道を自分の歩き方で歩きたい、と思っている。だから、小学生の頃から、よく先生や親に反発していた。そんなところが、より子さんに似ていると思う。他にも、歌が好きなところも似ている。私は小さい頃から、歌が、唄う事が好きだった。オリジナルの歌を口ずさむ事も大好きだった。絵を描く事が好きなところも、まわりの人に自分の気持ちをストレートに伝えるところも本当によく似ている。この、私と似ている人が、過去、癌だったとは思えない。より子さんは、わずか2歳で卵巣癌に冒され、たくさんの苦しみを味わってきた。闘病仲間の死、まわりとの違いなど、私にはどうしてもわからない苦しみを味わってきたより子さんの事を知り始めた時、私は、彼女をかわいそうな人、不幸な人、と嫌な目で見ていた。しかし、本を読み終え、私は嫌な目でより子さんを見ていた自分が情けなく思えた。より子さんは、何事にも本気、という強い意思(こころ)を持った人だったのだ。死と隣り合わせだから生半可な時間は過ごさない、とより子さんはこの本に書いている。鼻をかむのにも、寝ている時でさえ、本気だったという。この話を読むと、思わず笑ってしまうが、最後の3行で、私は重く尊いものが体のしんを揺さぶるのを感じた。「でも私は死なない。いつかの彼らの「本気」を受けついだ私の魂は、今生きている事に本気になっているからだ」。「本気」で生きる、という事。私はより子さんの言葉で、初めて、「死」というものと向き合った日の事を思い出した。この本と出合うおよそ1カ月前、私は血まみれの父の隣にいた。交通事故にあい、体を動かす事も、話す事も出来ない父を見て、私は初めて「死」という事を考えた。今も、私のそばで私を見守ってくれている父が、生と死の間にいた事を私は知っている。その時、生きようとしていた父を知っている。そんな父を見ていたから、私は「死」を知る事が出来たのだ。「死」は「死」からは学べない。「死」は「生」から学ぶものだと私は思う。生きているその人を知っているから、その人を永遠に失う悲しみ、そして、その絶対的な意味を知る事が出来るのだから。その事を私に教えてくれた父は、その時「本気」だったのではないか、と思っている。より子さんの言う「いつかの彼らの本気」とは、私が父から学んだ事と同じなのかもしれない。「本気」は思い。私は、自分の中で答えを見つけた。私には、失いたくない大切な人がいる。私の事を大切に思ってくれている人がいる。その思いが私を生きる事に一生懸命にさせてくれる。私は、私の大切な人や、私の事を思ってくれる人のために、今、生きている、と言ってもおかしくはないだろう。私の大切な父は、私のために生きていてくれている。誰か