龙源期刊网浅谈日语量副词「たくさん」在动词词组中的语义指向作者:王静来源:《青年与社会》2015年第17期【摘要】以往对日语量副词的研究主要集中在论述它的数量修饰的语法功能,它的语义指向特征及共现动词的词汇意义特点鲜有提及。文章通过大量实例,对量副词「たくさん」在动词词组中的语义指向进行了考察,将其分为指向客体、指向主体、指向动作3大类,并对各自的语义指向特征、共现动词的词汇意义特点进行了考察。「たくさん」在动词词组中的语义指向主要表现为指向客体和指向主体。当它指向客体时,客体可以由具体名词或具有抽象意义的名词来担当,有时客体会被省略,不出现在该句中,而共现动词主要都分布于主体动作客体变化动词和主体动作动词中的他动词;当它指向主体时,充当主体的名词多为具体名词,也有少量的抽象名词。主体一般出现在句中,不能被省略。与之共现的动词是存在动词和主体变化动词中的自动词。此外,作为语义指向的周边现象,「たくさん」也有少量指向动作的情况。【关键词】「たくさん」;语义指向;客体;主体;动作一、先行研究仁田义雄(2002)将副词分为结果副词、样态副词、程度量副词、时间关系副词及频度副词等几大类,又指出程度量副词由程度副词和量副词构成,而「たくさん」就属于后者,即对数量有修饰限定语法功能的量副词。工藤浩(1983)将表示数量概念的量副词与意义上邻近的程度副词相比较,指出量副词与程度副词的主要区别是不与形容词共现①。仁田义雄(1983)认为量副词的语法作用是对主体、对象进行数量修饰,他也同样指出以「たっぷり」「いっぱい」「タンマリ」等为代表的量副词不能对形容词进行修饰和限定。仁田义雄(2002)指出典型的量副词除了对主体、对象的个数进行数量限定之外,还有少量例子中表现出对动作的量限定修饰的语法功能②。然而,关于对量副词的研究基本上只是论述它具有数量修饰的语法功能,它的语义指向特征及共现动词的词汇意义特征鲜有提及。本文以量副词「たくさん」为例,使用语义指向的分析方法,主要考察它在动词词组中的语义指向特征、共现动词的词汇意义特点,即当它指向客体(动作对象)时,会与什么样词汇意义的动词共现,对客体名词有什么要求,当它指向主体时,又会与什么样词汇意义的动词共现,主体名词又会呈现什么特点等。以下就语义指向做以简单介绍。语义指向是80年代汉语研究学者提出的研究方法③。它指的是句中某个句法成分与哪个成分之间有语义联系。语义指向分析在汉语学界特别是研究修饰语(定语、状语)、补语及处理歧义现象时显示出很好的效果。关于日语中副词的语义指向,森田良行(2002)在「副詞の係る範囲」一节中阐述了副词含义与肯定·否定句型有着密切联系,并指出有时会由于副词种类不同而导致它与状态性相关,还是与动作性相关④。工藤浩(1983)、仁田义雄(1983、龙源期刊网)虽然没有使用语义指向这个概念,但都指出量副词对主体、对象进行数量限定的语法功能,也投射出语义指向的主要概念。二、「たくさん」在动词词组中的语义指向通过对例句的考察,笔者将「たくさん」的语义指向分为客体指向、主体指向和动作指向三大类,以下依次展开具体分析。(一)指向客体(1)「おかしいな、どうも、………荷物も沢山持っていたんだし、あのまま何処へも行かれる筈はないんだけれど。………」(痴人の愛)(2)私も決心した。東京で三月九日の夜、浅草、本所、向島などの江東地区がやられたとき、一面火の海となって隅田川に浮かんで焼死している人の姿をたくさん見た。(黒い雨)(3)あの子の心が病んでいるんだっていうことがね。私もそういう病んだ人たちをたくさん見てきたからよくわかるの。(ノルウェイの森)(4)「おやおや、銅貨を沢山くれるねえ」と銀之助は笑って、「こんなにあっては持上がりそうも無いぞ。ははははは。時に、瀬川君、きょうは御引越が出来ますね」(破戒)从语法功能上来看,以上4个例子中的「たくさん」分别做后面动作的状语,而在语义上,它却与动作的客体紧密相关,即依次指向受动作、行为支配的对象,表示「荷物」「人の姿」「病んだ人たち」「銅貨」的数量之多。这一点可以将「たくさん+の」移到客体前进行验证。(1)’たくさんの荷物も持って(2)’焼死しているたくさんの人の姿を見た(3)’たくさんの病んだ人たちを見てきた(4)’たくさんの銅貨をくれるねえ从动作的客体来看,它既可以是像前面例子中的具体名词,也可以由具有抽象意义的名词来充当。如下所示,「いいところ」「第一単語」与之前的「荷物」「病んだ人たち」「銅貨」相比,是抽象程度较高的名词。龙源期刊网(5)けれども、この洋画家の悪口を、この上さまざまに述べ立てても、姉さんには関係の無い事ですし、また僕もいま死ぬるに当って、やはりあのひととの永いつき合いを思い、なつかしく、もう一度逢って遊びたい衝動をこそ感じますが、憎い気はちっとも無いのですし、あのひとだって淋しがりの、とてもいいところをたくさん持っているひとなのですから、もう何も言いません(斜陽)(6)「おれには、そう舌は廻らない。君は能弁だ。第一単語を大変沢山知ってる。それで演舌が出来ないのは不思議だ」(坊ちゃん)另外,以上都是动作的客体出现在句中的情况,有时客体被省略,或不出现在该句中。换句话说,「たくさん」指向动作客体时,既可以指向句内,也可以指向句外。(7)「たくさん飲めるとは思えんがね」(あした来る人)(8)母は低い声で、「たくさん着て行きなさい」と言った。(青春の蹉跌)(9)あのあと、わたし、あんなに沢山食べたりして、御免なさいね。(青春の蹉跌)如(7)(8)(9)所示,「たくさん」分别指向句中没有显现的“饮料”“衣服”“吃的(食物)”,修饰限定它们的数量之多。因为这几个动词都是2价动词,除了动作主体以外,还需要受该动作、行为支配的对象,即使在句中没有出现,也很容易判断出来。据笔者通过实例调查,发现当「たくさん」指向动作的客体时,与之共现的动词主要属于主体动作客体变化动词和主体动作动词中的他动词,如下所示。扱う入れる産み出す買う聞く着る駆使するくれる知る食べる作るつける積み重ねる手にするとる並べる飲む張り出す含む持つ見る召し上がる設けるもらう依据工藤真由美(1995)的动词分类,以上动词具体可以分为以下几类引起客体状态变化·位置变化的动词:入れるつける(とりつけ動詞)とる(とりはずす動詞)張り出す(うつしかえ動詞)産み出す拵える作る設ける(生産動詞)所有关系变化的动词:買うくれる手にするもらう龙源期刊网主体变化动词:持つ主体动作动词中的他动词:扱う聞く駆使する知る食べる積み重ねる並べる飲む見る召し上がる静态动词:含む(関係動詞)可见,当「たくさん」指向动作客体时,与之共现的动词主要分布在外部动作动词中,特别是引起客体状态变化·位置变化的动词和主体动作动词中的他动词最为多见。(二)指向主体(10)帰りがけに覗いて見ると涼しそうな部屋が沢山空いている。(坊ちゃん)(11)見受けるところ、人を待つでもなく、切符を買うでもなく、ただ待合室にまぎれ込んで来ているらしい人がたくさんいた。(黒い雨)(12)戸坂の駅には汽車を待つ負傷者がたくさん集まっていた。(黒い雨)(13)でも他では駄目だった人がずいぶんたくさんここでよくなって回復して出て行ったのよ。(ノルウェイの森)以上例句中的「たくさん」结构上修饰后面的动词,实际在语义层面上,它们并非指向动作,而是与主体有着紧密关系,表示主体的数量之多。如例(10)中「たくさん」并非表示「空いている」的数量,而是表示「涼しそうな部屋」的数量之多。同样,我们可以用下面的测试来证明。将「たくさんだ」和句末表示动作、行为的动词置换,句子的含义也不会发生变化。例如:(10)’帰りがけに覗いて見ると涼しそうな部屋が沢山だ。(11)’ただ待合室にまぎれ込んで来ているらしい人がたくさんだ。(12)’汽車を待つ負傷者がたくさんだ。(13)’他では駄目だった人がずいぶんたくさんだ。从笔者收集的例子来看,与「たくさん」指向动作客体的情况相似,当它指向主体、表示主体数量之多时,该主体一般都具有可数性质,因此充当主体的名词大部分都是像「部屋」「人」「負傷者」这样表示具体事物、人物的名词。但是,这并不意味着只能由具体名词来承龙源期刊网担,少量例子中也会出现抽象名词的情况。下面例子中波浪线部分的「事(こと)」虽然是抽象名词,但前面一般都会有连体修饰成分,使它由抽象性(不可数)向具体性移动。(14)人の力で、どうしても出来ない事が、この世の中にたくさんあるのだという絶望の壁の存在を、生れてはじめて知ったような気がした(斜陽)(15)いまや、考えなければならぬことは沢山あった。(あした来る人)(16)然しいざとなって、半切を取り上げると、書く事は沢山あるが、何から書き出していいか、わからない。(坊ちゃん)(17)こういうことが随分たくさん書いてあるんですが、私が問題にしたいのは必ず「連携」という言葉が全部ついてある、項目があるわけですね。(国会会議録)另外,上文曾论述当「たくさん」指向动作客体时,有时客体被省略,或不出现在该句中。而与此不同,当「たくさん」指向主体时,主体一般出现在句中,是不能被省略的。这是因为当「たくさん」指向主体时,表示动作、行为的一般都是一价动词,如果省略或隐去动作主体,那么句意就会变得模糊不清,难以成立。(18)電車の中や、帝劇の廊下や、銀座通りや、そう云う場所で擦れ違う令嬢のうちには、云うまでもなくナオミ以上に美しい人が沢山あった。(痴人の愛)*(18)’電車の中や、帝劇の廊下や、銀座通りや、そう云う場所で擦れ違う令嬢のうちには、云うまでもなく沢山あった。(19)窓の沢山ついた大きな建物で、アパートを改造した刑務所かあるいは刑務所を改造したアパートみたいな印象を見るものに与える。(ノルウェイの森)*(19)’沢山ついた大きな建物で、アパートを改造した刑務所かあるいは刑務所を改造したアパートみたいな印象を見るものに与える。据笔者考察,当「たくさん」指向主体时,共现动词主要有:空く集まるあるいる要る落ちるくっつく咲く死ぬ生じるつく出る降り積もる見つかる其中,最典型的是静态动词中的存在动词,特别是「ある」「いる」的例子占了相当大的比例。可以将上列动词做以下分类:静态动词あるいる(存在動詞)龙源期刊网要る主体变化动词中的自动词空く集まる落ちるくっつく咲く死ぬ生じるつく出る降り積もる見つかる当「たくさん」与表示存在意义的动词「ある」「いる」共现时,语义层面上它会指向主体,对主体数量起修饰限定作用。当「たくさん」与表示主体变化动词中的自动词共现时,它会指向变化主体的数量,表示主体的数量之多。(三)指向动作如果说「たくさん」的语义指向主要表现为对客体和主体的指向,那么它对动作的指向可以说是周边表现。属于此类的例子并不多见。(20)二時間ばかり草取をしてから帰って来る道で、呉服屋の便所のタイル壁が剥げ落ちているのを見た。東側の上の方がたくさん剥げていた。(黒い雨)(21)「金というものは、できそうでなかなかできないものですよ。口は沢山かけておいた方がいい」+++真顔で、静かに言った。(あした来る人)(22)「うん。語学はひとつでも沢山できた方が役に立つし、だいたい生来俺はそういうの得意なんだ。(ノルウェイの森)如上所示,例(20)中的「たくさん」在语义上并非指向主体「東側の上の方」,而是指向动作「剥げていた」,表示剥落的程度之多。同样,在例(21)中,「たくさん」指向「口をかける」这个动作,表示多多开口的含义。在例(22)中「たくさん」并不指向主体「語学」,而是指向具有某方面能力的动词「できる」,表示哪怕是一门语言,掌握的范围之广或程度之深。然