日本人道思想

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日本人の『道』思想道とは何か?広辞苑では1、通り道、道2、人として守るべき条理3、神仏の教え,また菩薩4、専門の学問、技法などのような七つ以上の解釈が載せられてある。ここで扱う『道』とは主に解釈の4の『専門の学問、技法』である。一種の生命原理と考えたがる傾向日本では、学問や芸能に関して、何々道という呼び方が用いられてきている。例えば歌道、茶道、華道、香道、武道、剣道、柔道、弓道、医道相撲道、野球道、棋道、酒道日本人の心性の中にある『道』とは?元来,実際的なもの、自発的なもの、個人的なもので、一種の生活技術として考えられるものである。歌道茶道華道などにしても,それらの技をさらに高遠な宇宙原理に結びつけるようとしあげたのは近世のことであった。武士道「武士道」とは?「武士道」という語の起源について「武士道」の発展「武士道」とは?「武士道」という語は古くより「もののふの道」「兵の道」「武者の習い」「弓矢取る身の習い」「弓矢の道」などと呼ばれてきた。津田左右吉氏信長記「武士道」とは?武士の武芸、武術のような内容が含まれる一方、武士の人としての「道」という内容も含まれている思想として日本武士の道徳規範と生活準則として日本民族の長い歴史発展の中において形成されてきた特有の精神である。武士道:忠誠や礼儀.素質倹約など重んじる「武士道」の起源と発展「武士道」は平安時代に武士団の形成に従って現れ、鎌倉時代に至って大きく発展した。鎌倉時代に入って、武家が実力を持って,覇権を握り、将軍と御家人とを一団とする武家社会を背景として、はじめて「弓矢の道」「武道」の語が現れた。江戸時代官僚化した武士に対して、武士の在り方が、儒教の思想に「士道」と大成中江藤樹は、『翁問答』において「士の道」を儒教で解釈。「人間尊卑の位」として、古代中国における天子.諸侯.大夫.士.庶人の五等の別を、そのまま日本に当てはめることを意味している。藤樹の「士道」は、「君子道」なのであって、武人の武人としての道というに限らない。「士」としての武士の道は人倫の道そのものであり、武士はいわば人倫の道の実践者であり、農工商三民に対する人倫的模範なのである。山鹿素行は、『山鹿語録』の「士道論」の中で、農工商三民の上に立つ「士」の職分、道、修養などを取り扱い、五倫の道をつとめるのが士の職分であると説いている。このような「聖人の道」がそのまま「武士の道」という「士道」観は、熊沢蕃山や貝原益軒によっても説かれ、江戸時代の「武士道」観の正統となった。江戸時代中期に九州佐賀藩の『葉隠』では、「士道」に反対し、「武士道と言ふは、死ぬ事と見つけたり」と、戦国的武士道の復活を主張。武士のいう「死の覚悟」とは、仏教の悟りと違って、世俗の中での心の持ち方、戦闘に従事する者の心がまえ。生命への執着と死に直面した時にうろたえないための心がまえ江戸時代に儒家の倫理道徳思想によって倫理かされ、武士思想は,神道思想と同じように日本国民の深層文化心理となった。第二次世界大戦中で武士道思想は神道思想忠君思想とともに、日本軍国主義の侵略戦争の精神的武器となり、アジア諸国と日本国民に大きな被害を与えた。茶道茶道は喫茶と言う単純な慣習に、さまざまな作法を持ち込んで、はじめて成り立つ世界なのである。作法は茶の持つ日常性を止揚し、それを一個の芸術的な営為に高める方法であったと言える。作法を構成するもう一つ核は茶会という寄り合いである。1茶の心茶道の求道性:侘び、さび、茶禅一味茶道の趣味性:闘茶茶道の求道性と趣味性は相対立するものではなく、茶道の中に並存する。例えば「取り合わせ」2茶会第一、茶会は人々の寄り合いである。第二、茶会は「取り合わせ」の妙味を重んずる。第三、手前と言う作法である。ところで、茶会には、薄茶だけの会と正式の茶会がある。3茶室茶会の行われる部屋が茶室である。本席、茶席、席とも呼ばれる。茶室には、床の間が設けられ、炉が切られている。炉の位置によって、畳の敷き方や居所が変わってくるが、客が点前をする主人の右手に並ぶように畳が敷かれているのが本勝手の席といい、主人の左側に客が来るのを逆勝手の席という。客はにじり口と呼ばれる小さな戸から茶室に入る。亭主は茶道口から出入りする。床の間は畳床、板床、本床、台目床、室床、壁床などの多様な種類がある。茶室の内の畳には、それぞれ名称が付いていて、各各の居所が定まっている。にじり口迎付亭主は、枝折戸を開け迎付にでる。客は2、3歩出迎え、一同黙礼。亭主を見送り、いったん腰掛待合に戻る。頃合をみて露地に進み、順につくばいで手水を使う。席入り・挨拶にじり口より席入りし、床、風炉中と順に拝見。詰(最後の客)は、軽く音をたててにじり戸を閉め、掛金をかける。一人一人、茶事に招待されたお礼の挨拶をする。懐石初炭点前炭斗を持ち出し、炭点前をする。客は、香がたかれ香合の蓋が閉められると、香合の拝見を所望。縁高(菓子)・中立ち主菓子(濃茶用の菓子)を頂いた後、中立ち。この間に客は用を済ませる。続き薄茶都合で後炭点前が省かれ、濃茶に続いて薄茶を点てる場合もある挨拶・送り礼正客から順に茶事のお礼の挨拶をする。床、風炉中、釜の拝見をし、にじり口より退席。亭主はにじり戸を静かに開け、主客一同、感謝の心で黙礼。4点前会衆を前に亭主が茶を点てる。その亭主の居所を「点前」と呼ぶ。ある意味では、喫茶の風習に過ぎない茶湯が、茶道として芸能化するのは点前を基調とする独自の世界が形成されるからに他ならない。5会記茶会の記録が「会記」である。自ら催した茶会を書きとめた「自会記」と他家へ招かれたときの次第を記した「他会記」とがある。6茶道具茶道具は分類してみると、待合道具,本席道具、露地道具,水屋道具の4種類分けられる。7流派茶道界は家元を中心に据えた組織によって指導されているのである。千家流(1)表千家(2)裏千家(3)武者小路家(4)藪内流表千家不審庵裏千家今日庵武者小路千家官休庵藪内流燕庵華道1花の心2供花3立花4なげ入り花5生け花6各流派1花の心ある時には、鑑賞の対象として、またある場合には、信仰の対象として、日本人は、花に接してきた。2供花仏教と花の関係はその発生当初より深く関りあっていたことにより、供花することが功徳となるという教え方が一般的となり3立花室町時代から戦国時代にかけては「立てばな」と呼ばれ、主に床、書院、違棚の飾りとなった。陰陽や季節感が大事にされた。4なげ入り花江戸時代に投げ入れ花が出現した、茶道においても茶席の飾りとして花が使用されたが、基本的には、枝を曲げて外へ出すことにあり、そのバランスを取るため「控え」と称するものを必要とした。投げ入れ花は立花のように広い場所を必要としなく、季節や費用がかからなく、町人層にもてやされるようになり、茶道から独立して行われた。5生け花投げ入れ花の中で、床に置かれる花より展開し、一定の形式を有するもので、多くの流派が作られた。そこで、流儀花と呼ばれ、その流派の理論により、生花、正花、活花など名付けられる。6各流派池坊流未生流小原流草月流書道1書道の流れ2篆書、隷書、楷書、行書、草書3三筆と三蹟1書道の流れ書とは漢字または仮名文字を素材とする毛筆による造形芸術で、中国及び日本、朝鮮などで発達した。日本の書は中国から輸入した漢字をそのまま国語を表すのに転用したこと始まるが、その後、日本独自の仮名文字も発明され、さまざまな形で、書の美を展開してきたが、古来日本の書に及ぼす中国の影響は大きく、今日に至っている。奈良時代:王儀之の典雅な書風に日本人の好尚に合い平安時代:仮名文字が完成され、かな書道の全盛を迎える。鎌倉時代から室町時代にかけて、さまざまな流派が生まれた。しかし、秘事口伝を主眼し江戸時代:庶民も書が一般教養として学ばれるようになる。明治初期:中国から六朝風が伝えられ、書道界に新風が吹き込まれ、また個性が尊重され、現在では、実用性を離れて書芸的表現に重点を置くようになった。篆書隷書楷書行書草書虞世南欧阳询颜真卿王羲之風信帖玉泉帖三筆と三蹟三筆とは、日本書道史上、三人の優れた能書家空海、天皇、勢を指す。三蹟とは、小野道風、藤原佐理、藤原行成を指す。

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