自考-日本社会文化-详细考前复习资料-日文(假名标注)

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06年1月考3、5、7、9、10无2、4、6、8一、次の言葉を説明しなさい。第二章弥生文化1.銅剣(どうけん)弥生(やよい)時代の初期に朝鮮半島(はんしま)より伝えられた。伝わった時点の銅剣は細身(ほそみ)で鋭い(するどい)デザインであり、純粋に武器として使用された可能性がある。その後、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、主にとして、儀式(ぎしき)に使用されたと考えられている。作成時期により3種類に分けて、初期「細形」第一章岩宿(いわじゅく)文化1、「日本民族の起源」について、現在までにどのような学説が唱えられてきたか。日本人の祖先(そせん):5つの方向から日本列島に移民してきたと思われる。①北のほうから:華太から北海道を通じて本州北部(ほくぶ)へ;②南洋から:南大平洋諸島(しょしま)から本州東部へ;③朝鮮から:シベリア(西伯利亚)から中国の華北(かほく)、朝鮮半島を通じて本州中部へ;④中国海、沖縄から:中国華南地区、東南アジアから台湾、沖縄を通じて九州南部へ三種の神器:皇室(こうしつ)に今も伝わる三種の神器とは八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(「草薙剣」(くさなぎのつるぎ))のこと人類進化四つの段階:1,早期猿人(猿人),300-100万年前,在相当长时间里,仍然保留猿类的明显特征,能制造简单砾石工具,脑容量不及现代人一半(600~700ML)。2,晚期猿人(原人,直立二足步行),100万-20万年前,体貌与猿类有别,手脚分工明确,能够直立行走,掌握保存火种技术,能制造用途各异的石器工具,脑容量为700-1000ml.3,早期智人(旧人)20万~3.5万年前,能制作更为先进的石器和骨器,学会了人工取火,脑容量接近现代人,1100~1600ML.4,晚期智人(新人),3.5万年前至现代人形成之前,智力相当发达,能制造各种复合工具,产生原始艺术和宗教,形成母系氏族社会,是现代人的直接祖先,脑容量达1400ML.第二章縄文(じょうもん)文化骨角器動物や魚・貝類の骨、角、牙、殻などを材料として製作された人工品である。道具に限らず、装身具も含む。やじり、つり針、など大森貝塚(おおもりかいづか)は、東京都品川区から大田区にまたがる縄文時代後期-末期の貝塚。モース貝塚とも。アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが、1877年(明治10年)6月19日に横浜から新橋へ向かう途中、大森駅を過ぎてから直ぐの崖に貝殻が積み重なっているのを列車の窓から発見し、発掘調査を行った。モースらの発掘した貝殻、土器、土偶、石斧、石鏃、鹿・鯨の骨片、人骨片などの出土品は東京大学に保管されており、1975年(昭和50年)に全て国の重要文化財に指定されている竪穴住居たてあな‐じゅうきょ半地下式で草葺(くさぶき)屋根を待つ住居。地面を50CMほど、円形や方形に掘り窪(つ)め、その中に複数の柱(はしら)を建て、梁(はり)や垂木(たるき)をつなぎあわせて家の骨組みを作り、その上から土、葦などの植物で屋根を葺いた(ふいた)建物のことをいう縦穴・竪穴という用語は、横穴という表現の対照として生まれた土偶(どぐう)大きさ20CM左右の土人形で、縄文中期から後期につくられ、東日本に分析。顔面(がんめん)や髪形の特徴からハート形土偶、山形土偶と呼ばれるものもある。用法、制作目的などに諸説があるが、主に呪術(じゅじゅつ)的、宗教的意味を持たせて作られたとされている。屈葬(くっそう)遺体を折り曲げて埋葬する方法。死者の魂(たましい)が遺体から抜け出て、生者(じょうしゃ)に災い(わざわい)を及ぼさないようにする為に行われたと考える。第三章弥生文化いわゆる「弥生文化」をどうみるべきか。弥生時代は大陸(たいりく)の技術を受入、水稲耕作と金属器の使用を特徴とし、土器も赤褐色(せきかっしょく)の弥生土器に変わった。当時、日本は青銅器(せいどうき)と鉄器が流入し、石器時代から青銅器時代を飛び超え、鉄器時代に突入(とつにゅう)した。その一方、日本は海外との本格的な交流が始まった。同じ頃、漢字使用も漸く(ようやく)定着し、儒教(じゅきょう)も伝来した。弥生人の言葉も後の日本語の主流を形作った。4.「水稲すいとう」の開始、伝播(でんぽ)の背景、伝説をまとめてください。狩猟(しゅうりょう)や游牧に比べて、同じ面積の土地で数倍の人口が養(やしなえる)えるほど、すごい生産技術だ。この生産技術は弥生人が特に勧めなくても先住民の間に広まった。そして、金属器を使い、稲作(いなさく)が関東地方にも伝播していた。5.いわゆる「三種の神器」はどのようにできたか。室(こうしつ)に今も伝わる三種の神器とは八咫鏡(やたのかがみ)・八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)・天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)(「草薙剣」(くさなぎのつるぎ))のこと。なお、現在、1は皇居荷あり、2は伊勢神にあり、3は熱田神にあるといわれる。7.「倭人(わじん)の起源」について、まとめてください。倭人の起源と形成、今日では、縄文時代から、弥生時代への転換期に渡来人(とらい)と在来の縄文人が混血して、日本人の原型が出来上がったという説が定説化している。9.弥生時代の「海外貿易」は中日文化交流にどんな影響を与えるか。弥生時代は船に乗って、南北に行って、国々に市があり、有無を交易(こうえき)していた。古代の日本船沿岸(えんがん)には、天然の拠点に船を繰り、沿岸各地や大陸(たいりく)と日本海ルートで交易を行い、海外との交流が盛んになり、経済力がある海人(あま)集団がいた。10.「邪馬台国連合」やまたいこくについて、まとめてください。1.中国の歴史書「魏志(ぎし)倭人伝」に、3世紀頃、倭から30の国が中国に使者を送ってきていること、その中に卑弥呼(ひみこ)という女王が治(おさ)めている邪馬台国があって、30ほどの国を従(したが)えていたことが書かれている。2.身分の差があり、奴隷(どれい)がいて、租税(そぜい)の仕組みや市場もあった。3、邪馬台国の位置については、北九州説と畿内(きない)説がある。弥生土器(どき)1.縄文土器より薄く、赤褐色(せきかっしょく)をした土器。2.高温で焼かれたため、固い。3.模様がない、または簡単な幾何(きか)学的な模様がある。青銅器(せいどうき):弥生時代に、鉄器とほぼ同時に大陸から伝わった。精緻(せいち)な工芸(こうげい)、鮮(あざ)やか色があるが、出所が有限なので、主に祭の道具として使われ、銅剣、銅矛(どうほこ)、銅鏡(どうきょう)、銅鐸(どうたく)などが作られた。一部分が文様をつけて、大部分物は文様がない。銅鐸:弥生時代に製造された釣り型の青銅器のこと。大きさは12CM-1M、表面に狩(か)り、揉(も)みつき、家などの絵が描かれている。祭器(さいき)として考えている。その起源は大陸製の小型類品に合ったと推定されているが、その特色(とくしょく)は弥生時代の日本列島で独自に作られた。金印:1.中国の歴史書「後漢書」ごかんじょに、57年、中国(後漢)の皇帝が倭の奴国使者に金印を送ってきた。2.江戸時代に志賀島(しかのしま)で発見され、「漢委奴国王」と書かれている。卑弥呼:邪馬台国の女王である、呪術(じゅじゅつ)で政治を行った。あまり人に見かけないです。金属文化:青銅器は日本では銅鏡、銅矛、銅鐸など、神の祭、村のリーダーの地位の高さを表す道具として使われた。鉄器は少なくて貴重(きちょう)なものだったから、斧(おの)の刃先、農具や武器には広く使われた。銅剣:弥生(やよい)時代の初期に朝鮮半島(はんしま)より伝えられた。伝わった時点の銅剣は細身(ほそみ)で鋭い(するどい)デザインであり、純粋に武器として使用された可能性がある。その後、弥生時代を通じて盛んに製造されたが、主にとして、儀式(ぎしき)に使用されたと考えられている。作成時期により3種類に分けて、初期「細形」、中期「中細形」、後期が「平形」と分類されている。銅矛:武器の一種。朝鮮半島から入った。弥生時代中期から九州のみで、生産されていた。以後、しだいに大型化し、祭器化する。混血人種:日本人は原住民の縄文人と渡来人した弥生人が混血する人種だと言われている。混血、同化しながら、遺伝的な相対的な同一性が地理的な隔離を重要要素として形成されたと言われる。倭国(わこく)大乱:弥生時代の倭国は、ずっと男子を王としていたが、70~80年経過したが、争乱が起こった。王位を争いため、倭国の多くの政治勢力に分かれていた。何年も王のいない状態が続いたが、最終に卑弥呼という女子を王として、争乱は収まった。倭人の起源:倭人の起源と形成、今日では、縄文時代から弥生時代への転換期に渡来人と在来の縄文人が混血して、日本人の原型が出来上がったという説が定説化している。武器形祭器:随着铁器流入日本,青铜器用于制作武器的功能被虚化,外型趋于大型化,没有锋利的刃,成为随葬品和祭祀品。東提人:从事渔业的吴人,居住在日本列岛中部,在畿内一带留下铜铎文化。第四章古墳(こふん)文化1、「古墳文化の遺跡」の特徴と内容は何か?3~7世紀で、日本列島の各地に村をいくつか集めたくらいの小さい国がたくさんあった弥生文化から、統一的な中央集権が一応成立する律令国家誕生に至るまでの様々な社会の変革をしたのが古墳文化という。2、「大和政権」について、その背景、内容、体制などをいてみてください。大和及び河内を中心とする諸豪族(しょごうぞく)の連合権である。大王と呼ばれる首長を盟主に、畿内地方から4世紀中ごろに西日本を統一し、4世紀末には朝鮮から技術を持つ渡来人を登用し、5~6世紀ころ、氏姓制度による、支配機構が成立し、大化の改新を経て、律令国家へと繋がっていた。4、「古墳の種類」について、言ってください。1、4-6世紀で、大王や豪族の大きな墓が盛んに作られた。約300年間を古墳時代という。2、大和で作り始められた前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)の他、円墳、方墳(ほうふん)などがある。氏姓制度1、7世紀ごろから、天皇の称号が使われるようになった。2、氏、血縁で結ばれた豪族の一族。姓、家からや朝廷(ちょうてい)での地位を表し、姓に与えられた。3、大和朝廷の政治や社会の仕組みを氏姓制度という。埴輪(はにわ)1、古墳の上や周りに並べられた素焼きの土器です。2、筒型や、人物、動物、家などの形をしたものがある。金石文字(きんせき)金属や石に刻(きざ)まれた文字や文章、刀剣、甲骨(こうこつ)、土器等に刻んだものを含めることもある。埴輪陶芸(はにわとうげい)古墳に立て並べた日本固有の焼き物を作る工芸である。埴輪が岩手県から鹿児島(かごしま)県まで分布する。円筒のは形象(けいしょう)埴輪です。人物、動物、家形(いえけい)など器物がある。霊域を俗界(ぞくかい)から遮断(しゃだん)し、古墳の偉容(いよう)を誇る装置として出現、発展したものであろう。第5章飛島文化2、「聖徳太子」せいとくたいしはどんな人か。その功績、貢献をまとめてください。飛島時代の中心的政治家、思想家。推古(すいこ)天皇の摂政(せっしょう)として、冠位12階、17条憲法(けんぽう)の制定し、仏教を基本として、天皇中心の政治を目指した。留学生、留学僧(そう)を送って、大陸文化の導入に努めた。4、いわゆる「飛島文化」は何か。飛島文化は推古朝を頂点(ちょうてん)として大和を中心に華開いた仏教文化である。時期としては、一般に仏教渡来から大化の改新までをいう。中国大陸の文化の影響を受け、国際性豊(ゆた)かな文化でもある。多くの大寺院(だいじいん)が建立され始め、仏教文化の最初の興隆期であった。5、大化改新の実質と内容は何か。聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏(そがうじ)が権勢(けんせい)を振るった。645年、中大兄皇子と中臣鎌足(かまたり)らが、蘇我を倒して、政治の実権を握った。唐に習い、初めて年号を定(さだ)め、大化とした。中大兄皇子は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