論文日本の医療制度における諸問題と将来展望伊東慎吾はじめに日本人、特に若い世代の人々は医療保険および医療制度に対する知識が希薄になっている。超高齢社会において、医療保険制度は見直しを図られなければならなくなった。医療制度に関しても、医療機関としての役割を本当に果せているのであろうかという疑問が多く出てくる。中でも国民医療費の高騰という問題は、医療分野だけでなく、社会全体を巻き込む大きな問題である。医療器具の発展や、疾病構造の変化、新しい治療法の開発などにより、国民医療費は高騰する。財政を圧迫する国民医療費を抑制しようとする動きは、国や地方にとって合理的なものである。国民医療費の高騰の原因には、さまざまな要素が絡んでくる。国民医療費の高騰という問題に対して、無理に国民医療費を抑制しようとすると、医療サービスの低下や、医療アクセスの阻害といった問題が出てくるであろう。その問題に対応すべく、効率的かつ効果的な国民医療費の抑制方法が求められる。本稿は、医療分野における諸問題と、それが要因となって起こる国民医療費の高騰という問題を考察していく。それによって、効率的、効果的な医療を実現するためには、包括的な医療政策の見直しが必要となることを明らかにする。1.国民医療費の在り方国民医療費の増加という問題は、医療が発展していく中で、発生してしまうことではあるが、それに対して抑制ではなく、どのように効率的に、そして無駄のないように対処していくのかが重要な問題である。加えて、医療費が高齢者の増加に伴って増加している。現役世代の所得移転に頼っている高齢者の医療費が増加すれば、現役世代にもその代償は降りかかってくる。現役世代の負担を減らそうと、無理に国民医療費を抑制しようとすれば、医療サービスの低下や、医療アクセスの阻害といった問題が出てくるであろう。この節では、国民医療費の範囲や意味を概観する。そして、医療費増加の原因と、問題について検討する。1.1高齢化と国民医療費の関係年間の医療費支出を測るには、国民医療費を用いる1。医療費は主に3つの構成要素(保険料、公費、自己負担)によって構成されており、この3者の微妙なバランスの上で日本の医療は成り立っている。この国民医療費は、1999年度に初めて30兆円を突破した後もなお増え続けている。国民医療費を対国民所得と比較してみても、その割合は増え続けている。この国民医療費増加の昀も大きな原因は「人口の高齢化」であるといわれている。高齢者は一般に、病気にかかるリスクが高く、病態も慢性化・複合化する傾向がある。そのため、現役世代と比べ1医療機関での傷病者の治療に対して支出される費用を年度単位で推計したもの。診療報酬額、薬剤支給額、健康保険で支払われる看護・介護費などを含んでいる。(有斐閣『経済辞典』第4版,2002,p.400.)5香川大学経済政策研究第4号(通巻第4号)2008年3月て相対的に多額の医療費がかかる。『老人医療事業年報』(2001)によると、70歳以上の高齢者1人当たり診療費は現役世代の4.8倍にもなる。加えて、2003年度の国民医療費31.5兆円のうち、ほぼ4割の12.4兆円は70歳以上の高齢者が消費した。高齢者の医療費の大半は老人保健制度を通じた就業者からの所得移転によって維持されている。高齢者が消費する医療費の大きさから、高齢化が医療費の負担構造にもたらす影響の大きさが分かる。さらにいえば、高齢化が医療費の負担構造にもたらす影響の大きさは、医療制度の根幹に関わるものである。1.2医療費財源のバランス日本の医療費の財源は主に3つある。日本は社会保険方式2を採用しているため、財源に占める医療保険給付の割合が相対的に高い。それに次ぐのが公費負担、そして自己負担である。日本は社会保険を主要な財源調達手段としつつも、公費(租税)を必要に応じて投入することによって制度の安定化を図っている。しかし、ここ数年の傾向として、保険料の割合が減少し、自己負担割合が増加している。これは、被用者保険における自己負担率の引き上げと薬剤一部負担導入、自己負担限度額の引き上げ、老人医療における自己負担額の引き上げなど、一連の制度改正の影響である。2003年に被用者保険自己負担率の更なる引き上げが行われたが、この傾向は現在も続いている。この自己負担額の増加によって、国民の医療に対する負担が増大することは明らかである。高リスク者(病気になりやすい人)や、低所得者の負担が大きくなる。この自己負担額の増加によって、モラルハザードによる無駄な医療費を削減できる反面、高リスク者および低所得者の医療アクセスを阻害する危険をはらんでいる。医療費財源において理想の体系は、すべて単一の制度にすることであるが、利害関係が複雑に絡み合う日本の医療制度のおいては、例えば保険料によって「公平的負担」を担保しつつ、自己負担によってモラルハザードによる無駄な医療費を削減するなど、「効率的負担」を図り、そして公費で「政策的負担」を行う、という三者のバランスを保つことが必要になる3。1.3医療費増加の原因と問題医療費が増加してきた原因として、医療サービスの名目価格の上昇、高齢化、所得の増加やその他の原因(医療技術の変化など)が考えられてきた。健康であり続けるために、「予防」による医療費の増加も考えられる。しかし、解明されていない問題が多く、この医療費が増え続けている要因については、さらに研究の余地があるであろう4。国民医療費の抑制を政府は望んでいるが、抑制にもさまざまな問題が含まれていることも考慮しなければならない。例えば、診療報酬の抑制によって、医療費の抑制を図るケースを考える。そのような状況になると、採算が見合わなくなった病院や診療所はつぶれていくという危険性がある。さらに、診療報酬の低下に対して、供給量の抑制、質の低下という問題が発生する可能性もある5。2被保険者の加入を強制とし、保険料は所得比例拠出が一般的であり、使用者にも負担させること、給付を受ける条件として一定期間以上の保険料拠出を行うことなどである。(経済辞典,p.557.)3小松(2005),p.6.4堀田(2006),pp.30-33.5堀田(2006),p.34.6日本の医療制度における諸問題と将来展望1.4ターミナルケアの在り方ターミナルケアとは、終末医療と呼ばれるものである。高齢者の医療においては、死亡する直前に多くの医療費が使われる。高齢者の医療費が高い理由に、死亡率が高いということも挙げられる。しかし、ターミナルケアにおける医療費を抑制するという問題が発生している。ターミナルケアにおいて、医療費がかかるという事は事実だが、医療財源を圧迫するというところまではいっていない。例えば、①我が国の老人の死亡前1年間の医療費の老人医療費全体に対する割合は約11%にすぎず、アメリカの28%に比べてはるかに低いこと、②医療費の高騰は死亡者の中の20~25%の人にのみ起こっていること、③医療費の高騰が始まる時期も死亡前の2ヶ月前からと遅かったことが明らかになっている6。ターミナルケアにおける医療費は、2020年には2兆9千億円に膨れ上がる7とされているが、2020年には医療費総額もはるかに増える。2020年の医療費総額は、37兆円になるとされ、2兆9千億円はその7~8%である8。この程度なら、医療財源を「圧迫する」とまでは言えないであろう。医療費抑制のために、例えば入院での死亡を減らそうとすると、その受け皿のない悲惨な「患者の追い出し」が増加し、社会的不安を抱かせることになってしまう。むやみやたらに医療費を抑制しようとすれば、医療としての本質を忘れ去ってしまう結果になりかねないであろう。2.医療制度の歴史と現状日本は医療費の財源調達手段として「社会保険方式」を採用している。医療保険の供給を民間医療保険市場に委ねるのではなく、すべての国民が強制的に公的医療保険に加入する「国民皆保険制度」を採用した。公的医療保険制度には非高齢者を対象とした制度と高齢者を対象とした制度の両方が含まれる。超高齢社会に向けて、医療保険制度の歴史と現状を把握しておく必要がある。高齢者を対象とした老人保健制度は非高齢者を対象とした制度から派生した制度で、両制度には多くの共通点がある。ここで、両制度の歴史について説明していきたい。2.1医療保険制度の沿革戦後の公的医療保険制度の原型はすでに戦前に用意されていたが、制度設計の思想は全く異なっていた。戦前の公的医療保険制度が国民の体力や健康維持などに軸足を置いていたのに対して、戦後の公的医療保険制度は保険原理と所得移転をミックスした仕組みが導入された。日本の公的医療保険は1922年に制定された健康保険法制定までさかのぼる。この法律は当時の社会状況を反映して労働能率の増進、労使の対立の緩和、国家産業の発展を目的としていた9。1929年の世界恐慌は日本の農村部にも大きな影響を与え、農村地域での医療状況は悲惨で6二木(2000),p.162.7二木(2000),p.163.8二木(2000),p.163.9堀田(2006),p.17.7香川大学経済政策研究第4号(通巻第4号)2008年3月あっただけではなく、当時の日本は、満州事変から日中戦争への道のりの昀中にあった。そこで、農民の救済や戦争に備えて国民の健康や体力の維持向上を目的として1938年に国民健康保険法が施行された。その後1939年に船員を対象とする船員保険法、ホワイトカラーを対象とする職員健康保険法が施行された。それまでは被保険者本人だけが給付対象で、家族は給付対象になっていなかったが、戦争に備え、家族給付が創設されたのも1939年である10。当時の制度は、戦争のため、国家総動員のための制度であるといえる。その後、第二次世界大戦により戦前の公的医療保険制度は事実上崩壊するが、戦前に作られた制度の枠組みや名称は戦後の公的医療保険制度に受け継がれることとなる。戦後直後の日本では伝染病が大流行し、疾病対策は政府の緊急課題であった。これに対し1948年に戦前に施行された健康保険法・国民健康保険法が改正され、新たに医師法、医療法、薬事法など現在の医療保障を形成する法律が導入された11。1947年に施行された新憲法の精神に基づき、1950年の社会保障制度審議会の勧告の中では、自立した個々人の社会連帯に根差した相互扶助の仕組みとしての社会保険の重要性が強調され、今日の公的医療保険制度の方向が確定した。1956年には公的医療保険の適用者は6522万人で、人口の約3割、3000万人が未加入であったが、1958年の国民健康保険法の改正によってすべての市町村が国民健康保険の供給を開始し、1961年には国民皆保険が実現した12。日本の公的医療保険は単一の制度ではなく、複数の制度から構成されている。歴史的に見ると、「職域保険」である公務員共済、組合管掌健康保険、政府管掌健康保険が先にでき、「地域保険」である国民健康保険ができたのは一番昀後であった。この国民健康保険の登場なくして「国民皆保険」の実現はなかったといえる13。2.2非高齢者対象の医療保険制度の概要公務員共済は国家公務員や地方公務員、私立学校の教職員を対象とし、保険者は共済組合および事業団、自己負担率は2007年現在においては3割である。組合管掌健康保険は大企業のサラリーマンを対象とし、保険者は健康保険組合、自己負担率は3割、そして保険料は事業主と被保険者で折半する。政府管掌健康保険は中小企業のサラリーマンを対象とし、保険者は国、自己負担率は3割、保険料は事業主と被保険者で折半する。国民健康保険は被用者保険に加入していない一般住民を対象とし、保険者は各市町村、自己負担率は3割である14。制度別に加入者数を見てみると、国民健康保険が昀も多く、政府管掌健康保険、組合管掌健康保険がそれに続く。これに関して、ここ数年で国民健康保険の加入者が増大しているという現象が起こっている。これは