古代後期の文学第一節古代後期の文学概観時代区分:延暦十三年桓武天皇の平安京遷都から建久三年源頼朝が鎌倉に幕府を開くまでの約四百年間一、文学の背景社会的背景:平安京遷都当初の宮廷文化は唐風文化の積極的な振興が図られ、文化の成熟を見るようになった。政治の面では、十世紀後半、摂関政治は藤原道長が権勢を独占する当時に、全盛期を迎えたが、十一世紀後半になって、白河天皇が院政を始め、衰退していった。風土の環境:青龍、白虎、朱雀、玄武の四神相応の地といわれる。邸宅の遊宴は平安文学の情趣的傾向を培った。二、文学の特徴平安初期漢詩文が隆盛に極め、<凌雲集><文華秀麗集><経国集>の三勅撰集が余れる。十世紀初めごろに日本最初の勅撰和歌集<古今和歌集>が編纂された。また、物語や日記も仮名で書き表わされるようになった。<竹取物語><落窪物語><宇津保物語>などの作り物語、<伊勢物語><大和物語>などのうた物語が次々に書き出された。和歌は公的文学として、漢詩文と肩を並べ、隆盛期に入った。<古今和歌集><後選和歌集><拾遺和歌集>という三代集が編纂された。あとの<後拾遺和歌集><金葉和歌集><詞花和歌集><千載和歌集><新古今和歌集>を加えて、八代集という。十世紀後半から十一世紀前半にかけて、女流文学が開花した。随筆の<枕草子>、物語の<源氏物語>、日記文学としての<蜻蛉日記>、<和泉式部日記>、<紫式部日記>、<更級日記>などがある。この時代は女房文学の時代といっていい。十一世紀後半から十二世紀に至る時期を、王朝文学の爛熟期と退廃期と称する。一面では<夜の寝覚><堤中納言物語><浜松中納言物語><狭衣物語>のような次代の文学が現出した。一方で、激動する平安末期の世相と退廃を描く作品が現れた。<栄華物語><大鏡>のような歴史物語がいくつか作られた。また、<今昔物語集><梁塵秘抄>が編集され、新しい時代の息を感じさせた。女性作家たちに対して、男性の歌人も輩出した。藤原明衡の<本朝文髄>、空海の<文鏡秘府論>があった。第二節詩歌の発展一、漢詩文の隆盛――唐風謳歌の時代弘仁天長期を頂点に、「唐風謳歌時代」が出現した。漢詩文の知識こそ宮廷貴族の立場にとって必須条件であり、「文章経国思想」が盛んになった。初期から中期へ:真言宗、天台宗が中国から導入され、日本文学に大きく影響した。空海の<文鏡秘府論><性霊集>が有名である。漢詩文においては、<白氏文集>が伝来した。<文選>と<妙法蓮華経>は平安時代もっとも広く読まれた外国作品である。その影響を受けて、<凌雲集><文華秀麗集><経国集>の三集が編集された。菅原道真:詩文集十二巻<菅家文草>と<菅家後集>一巻が伝わる。和歌と漢詩訳の作品集<新選万葉集>、事項別に分類編集の形げ編んだ史書<類聚国史>がある。菅原道真は漢詩人、歌人、学者として遣唐使廃止と国風文学を促進した。凌雲集嵯峨天皇とその近臣による唱和を中心唐風文化の真髄を見せる文華秀麗集経国集政治上の文章、漢才が国造りに役立つと述べる凌雲集の中の漢詩中期及び後期:平安中期の漢詩文の発展は二つの時期に分けられる。一つは村上天皇を中心として大江朝綱、菅原分時、兼明親王などが活躍している。もう一つは女房文学が隆盛を極めた時代である。藤原公任の<和漢朗詠集>はこの時代の風貌の象徴ともいえる。漢詩文は<本朝文粋><日本往生極楽記>がある。和漢朗詠集平安後期になると、漢詩文が和歌への転換期である。藤原明衡が学者としての地位を築いた。<新猿楽記>は市井風俗を描き、<明衡往来>は散文作品の新しい世界を開いた。平安中期以後文章経国の理念が形骸し、漢詩文は衰退していった。大江匡房はこの時期の代表的な作家で、<続本朝往生伝><本朝神仙伝><遊女記><洛陽田楽記>などの作品のほか、談話記録の<江談抄>、漢詩文の<本朝続文粋>がある。平安時代最後の総集<本朝無題詩>は無題詩を中心に、詩人の人生や社会への感懐の心情を表した。新猿楽記三、和歌の復興九世紀の末頃から、和歌の復興の兆しが見えてくる。六歌仙の活躍と貴族の間の歌合などに和歌は再び盛行した。九世紀の半ばごろから社交性、遊戯性の高い和歌が詠まれるようになった。和歌は次第に抒情的なものから知的、客観的なものへと変質していった。この時期、<新選万葉集><句題和歌><紀師匠曲水宴和歌>などがある。醍醐天皇の時代を迎えてから、律令制を強化し、勅撰和歌集の編集が計画された。巻数二十巻成立延喜五年(905)、醍醐天皇の勅命で歌数約千百余撰者紀友則、紀貫之、壬生忠岑、凡河内躬恒構成春、夏、秋、冬、賀、離別、恋、哀傷など十三の部立て序仮名序(紀貫之)真序(紀淑望)表現繊細かつ洗練、技法を伴う地位日本初めての勅撰和歌集、和歌文学の隆盛を招く古今和歌集時期年代歌風歌人第一期読み人知らずの時代嘉祥三年まで万葉集からの過渡的な歌風、素朴な五七調第二期六歌仙の時代嘉祥三年から寛平二年まで古今歌風の確立、七五調が優勢となり縁語、掛詞、見立てなどの技法を使う、心情を景物にまねて優美な感情を表現した僧正遍昭、在原業平文屋康秀、喜撰法師小野小町、大友黒主第三期選者の時代寛平二年から延喜五年まで古今歌風の完成期、縁語、掛詞、比喩などの修辞が多用され、擬人法も使う、表現技法は洗練され、優美で知的、流麗な七五調が用い、三句切れも多く紀友則、紀貫之、壬生忠岑、凡河内躬恒、大江千里、大江伊勢成立951撰者梨壺の五人巻数二十巻歌数千四百二十数首内容日常性の高い贈答歌を中心にけの歌が多く、物語の傾向を示している成立1005――1007撰者花山院巻数二十巻歌数千三百五十余首歌風古今集風をさらに洗練させたような優美な歌が目立っている内容新しい部立てが設けられ、連歌や釈教歌などの新しい分野も開拓後撰和歌集拾遺和歌集三代集拾遺和歌集後撰和歌集八代集:承保二年には藤原通俊に勅撰集選進を命じて出来た<後拾遺和歌集>は第四番目の勅撰和歌集である。<拾遺集>にもれた歌に当代の歌を加え、中心を道長時代においているので、和泉式部、相模、赤染衛門などの女流歌人の歌が多く、清新な趣がうかがえる。天治元年に選進された<金葉和歌集>は今までの勅撰集と違って十巻からなり、連歌の部立てが新しく加り、古今集的な歌風から抜け出た歌も多くなり、新風を見せている。金葉和歌集後拾遺和歌集<金葉集>にならって新風を目指した<詞花和歌集>が引き続き撰進されたが、比較的に保守的傾向が強かった。文治三年に編まれた<千載和歌集>は第七番目の勅撰和歌集である。二百年間の歌を撰んでいるが、当代を重んじて、出家歌人が多く、述懐歌、釈教歌に特色がみられる。余情、幽玄の歌風をうちたて、新古今歌風の先駆をなすところに、大きな価値がある。次期の<新古今和歌集>を加え、八代集という。詞花和歌集千載和歌集三、私家集、歌論、歌謡私家集:古代以後に出た歌人は優れていて、私家集が多く作られた。<和泉式部集>(和泉式部)、<會丹集>(會禰好忠)、<長秋詠藻>(藤原俊成)、<山家集>(西行)などがある。和泉式部長秋詠藻歌論:奈良時代以後、漢詩文隆盛の中、中国詩学を適用した<歌経標式>が書かれた。和歌の批判と表現について述べた歌論は、紀貫之の<古今和歌集>の仮名序である。歌合せの隆盛に従い、<和歌体十種>、<俊成髄脳>、<綺言抄>、<新選髄脳>、<和歌九品>、<袋草紙>、<和歌初学抄>、<古来風体抄>などがある。歌謡:神前歌舞に用いられた神楽歌、東遊歌、催馬楽、風俗歌のような遊宴歌謡、漢詩や和歌を歌う朗詠、今様をはじめとする雑芸などがある。神楽歌は神遊ともいい、神事に用いる歌舞で、その歌詞を神楽歌という。東遊は東舞ともいい、東遊歌は元来東国の民謡であったものが、神前で奏せられるようになったものをいう。催馬楽は近畿社会の民謡であったものが、貴族社会に入り、遊宴に用いられた。自由な形式で、素朴な恋愛の歌、滑稽風刺の歌など、庶民の生活感情を歌ったものが多い。風俗歌はもともと地方土俗の歌の意味で、民謡、里謡と同意で、地方の土俗歌二十六首を一まとめにして、伝えている本に収められている歌をいう。朗詠は元来漢詩を朗詠することであったが、平安期から、一定の曲風をつけて、楽器の伴奏も加え、和歌をも歌うようになった。今様は当世風の歌謡の意味で、主として、七五を四回繰り返し、調子がよいため、庶民の間でも盛んに謡われ、宮中でも用いられた。第三節物語の出現一、物語の誕生――作り物語と歌物語作り物語:作り話で、伝承説話を取りどころにして作られたき虚構した物語である。(<竹取物語>、<宇津保物語>、<落窪物語>)歌物語:歌を中心とし、歌語りが散文化され実現した抒情的な世界である。(<伊勢物語>、<大和物語>、<平中物語>)竹取物語:二巻、延喜年間に成立した。竹取の翁に見出されたかぐや姫を中心として、地上的なものの悲哀と、美しいものへのあこがれを描きながら、そこの適度のユーモアと現実社会への風刺をまじえている。宇津保物語:二十巻からなる長編物語である。竹取物語の系統をひく物語で、空想的な筋に始まり、しだいに貴族生活の写実的な叙述を加え、貴族社会を多面的に描いている。落窪物語:全四巻の作り物語である。主題が明らかで「継子いじめ」を取扱った物語で、仏教の勧善懲悪、因果応報の思想も見られる。貴族生活を写実的に描いている。伊勢物語:一巻、平安初期、貴族社会に流行していた歌語りを文章化したものである。背景や事件を付けくわえた百二十五段の話が、優雅な趣の中に述べられた風流貴人の一代記である。<万葉集><古今和歌集><源氏物語>とともに和歌の聖典として尊重された。大和物語:二巻、天暦五年にできた。百七十余の章段を有し、口承書承の和歌を集録したものである。平中物語:天徳四年から康保二年までには成立したもので、平貞文を主人公とする、三十九段からなるものである。主人公の色好み生活に関する描写であるものの、その行動は消極で、情熱を乏しい人間像となっている。大和物語伊勢物語二、物語文学の集大成――源氏物語従来物語の二系統の方法に加え、和歌、日記の伝統をも吸収して壮大な絵巻を展開したのが<源氏物語>である。作者は紫式部、五十四帖からなる長編物語である。十一世紀の初めにできたものと推定される。光源氏の一生とその子の薫の半生を中心として描く。物語は帝王四代、七十四年間に及び、三百余り人が登場する長大の構想のもと、各人物は細かく描き分けられ、まて精密な心理描写、深い人間観察が、優雅な文体で語られる。隠然たる世界が構築され、自然、人事、そして人物の性格や心理描写にすぐれ、全編に「もののあわれ」が漂っている。表現は流麗で、和歌の効果と相まっている。三十三帖までは運命的なかげりをもつ愛の遍歴の中での光源氏の栄華のきわみが描かれる。次の八帖には女三宮の光源氏への降嫁、葵上の死後正妻となった紫上の苦悩、薫の出生と女三宮出家、紫上の死去などを経て、ついに出家を願う光源氏が語られる。残り三十三帖は光源氏の死後、残された人々の世界が描かれ、匂宮薫大将と宇治の姫たちとの愛の葛藤ののち、決して実ることのない薫の恋に終わっている。源氏物語の人物関係図三、<源氏物語>以後の物語平安後期になると、<源氏物語>の模倣にとどまった衰退期の作品ばかりである。しかしその時代の官能的、退廃的な世相をよく反映していたところに価値がある。作品成立巻数編者特徴堤中納言物語十編趣向を異にしながら人生断面を鋭く描いており、退廃的で新奇を追求する傾向も見られる。浜松中納言物語十一世紀半ばごろ五巻菅原孝標女浪漫的な物語狭衣物語十一世紀後半四巻宣旨憂愁な雰囲気に満ちている夜の寝覚十一世紀中ごろ四巻未詳心理描写が多くとりかへばや物語三巻、五巻未詳平安時代の退廃的な時代風潮を反映していた四、歴史物語――<栄華物語><大鏡>歴史物語は、大体取扱う世界が宮廷や貴族社会に限られている。栄華物語:四十巻、正編長元年間、続編は寛治六年以後に成立した。上巻三十巻の作者は、大江匡衡