第一課(一)緒方貞子ーー難民つくらぬ世界へ21世紀に向かって、難民をつくらない世界を構築してゆくためには、難民発生の根本原因というものを特定して、それに効果的に対応してゆく必要があります。難民の数は20年前には250万人だったのが、東西冷戦終結時の1990年は約1,500万人になり、1995年5月現在、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の管轄下にある難民は約2,300万人に上っています。現在の世界の一つの特色とましては約115人に1人という多数の人たちが不安、危険、不安定のなかで、自分の住んでいる所から追われ、動いているという状況があるわけ。これを21世紀に向かって、どういうふうに解消してゆくのかが、今世界的な課題として広く検討されている問題です。難民問題の解決は難しいのですが、解決の戦略としては三つ考えられます。それは、緊急事態の対応強化、自主帰還を促す環境の整備、そして予防です。以下では、これらについて、少し具体的にお話したいと思います。まず、緊急事態の対応強化をどうやっていくか。私が難民高等弁務官になりました(1991年1月)のちに、クルド難民、旧ユーゴ難民、ルワンダ・ブルンジ難民が発生しました。その経験から何とかして緊急対応能力を高めるために、ヒト・モノ・カネを充実させなければならないと考えました。まず、ヒトですが。緊急事態に対応するために5人の専務官を置き、各自が5人ずつのチームを編成するようにしました。次に、モノについては、彼らが出かけて行く時のために、緊急用具一式(コンピューター、紙、無線機などを組み込んだ四輪駆動の自動車)を準備しておきます。カネについては、2,500万ドルを緊急援助用資金として準備しています。これだけではとても足りないので、いくつかの国やNGO、国としてはスウェ-デン、アメリカの保健省など、デンマーク、ノルウェ-の民間団体と緊急支援の取り決めをして、事が起こったときに、100名ぐらいを72時間以内に出していただく、それもある程度訓練をした人たちを出していただくという取り決めをしたわけです。第2の、帰還を促す環境の整備についてですが、平和が成立して帰国出来る条件が整うと、難民は帰っていきます。人はやはり、自分の家へ帰りたいのです。このところ最も成功した帰国のケースとしては、カンボジアへ37万人が14年も難民生活をしたあとで帰ったというのがあります。難民の帰国が、その後の、その国の安定に、どういう形で貢献するのか。そして、さらに21世紀へ向かっての開発が可能なのだろうかと考えてみますと、まず和平協定、或は、政治的な合意が成立すると、難民が帰国のことを考え始める。そうすると私どもも帰国のための支援を始めるわけです。まず、一人一人が帰る交通の手段を考え、帰国にあたっては食料を与えたり、帰って家を作るために資材を集めたりするわけです。カンボジアの場合、ほとんどが農民でしたから、彼らが帰っていって再び農業に従事できるような土地を設定して渡そうと思いました。それで、土地の測量をしたり、いろいろ調べたのですが、なんといっても地雷が多い。地雷を除去して、土地を提供するとなると、帰るまでにどのぐらい時期が決まっておりましたので、ある期限内に帰さなければいきませんし、国連もあれだけの平和維持軍を出して、長い間とどまっているわけにはいきません。それでその時考えたのが、もし土地を提供できなければ、現金を渡して、その現金を取るで生活再建を自分たちで考えてもらってはどうかということで、土地を取るか、現金を取るかという選択肢を難民に提示したのです。そうしたら、驚くほどたくさんの方たちが現金を選ばれて、そのおかげで帰国が促進されたということがありました。最後に、予防についてです。予防というのは、すべての国で、よい政権ができて、民主的な手続きで政治が行われ、経済が安定して、人権が尊重されるという条件が整えば、紛争も起こりませんし、難民も出てこないのだろうと思うのです。ただ、そういうことを期待するのは、まるで世界中の天国に帰るというのに近いほどのことになりますから。これはとても期待できない。そうなると、今持っている手段で、どうような予防が可能なのかということになります。私の答えは一つです。それは紛争が起こりそうな国に、国際的なプレゼンスというものを早くから確保することだと思います。国際的に、その地域に、ある種のプレゼンスをもって、ただ状況を見るだけではなくて、いろいろな形で「ソフトな介入」を試みる以外はないと思うのです。いま、予防をいちばん中心に考えているのは、旧ソ連諸国です。旧ソ連諸国は、人間の移動が不規則に行われていますし。また、在外ロシア人が各共和国で少数民族化して、しかも、その保護が十分ではないということもあり、危険をはらんだ地域になっています。そこで、私どもは連絡事務所網というものを設け、危険な状況があったとき、あるいは、こういう法的な問題に対しては、こういう法整備をもって対応したらどうかというような、法的な支援ということを心がけてきております。21世紀へ向かっての難民問題は世界の人道問題であり、さらに、世界の政治・安全保障につながる大問題です。こうした人道問題を取っ掛かりにして、世界的な協力態勢というものをこれから真に打ち立てていかなければならない。それには地球に住む人全員の協力が必要である、これが日夜、世界的にな難民問題に対応している私の心からの呼びです。