第四章中世の文学第一節中世の文学概観中世の文学:鎌倉時代、南北朝時代、室町時代、安土桃山時代の約四百年間の文学。一、中世文学の背景中世は、承久の乱、南北朝の争乱、戦国時代など、何度もの政権交替と戦乱頻繁の時代であり、当時の人々はこの世の無常を自ら体験し、仏教に救いを求めるほかはない。また、文化的には、都と地方との交流が盛んになり、地方の文化が発展するとともに、一般庶民の文化も歴史の舞台に登場し始めた。中世初期、武士が政治の実権を握るようになり、貴族らは没落しつつある。彼らはひたすら王朝時代を思い、先代の優美繊細な文化に憧れを抱いていた。第一節中世の文学概観二、中世文学の形態隠者の文学:仏教の影響を受け、仏教の無常観が深く作家の頭に浸透して、代表的な文学理念になった。隠者文学双璧だと称されるのは鴨長明の「方丈記」と吉田兼好の「徒然草」という両随筆である。中世の詩歌:「新古今和歌集」は没落してゆく貴族文学の最後の輝きだった。室町末期には俳諧連歌が生まれた。歌論や連歌論も書かれた。中世の散文:中世初期は説話の黄金時代である。室町期に御伽草子が発達して、庶民に広く愛読され、源平合戦から戦国時代に至る戦乱の中で、多くの軍記物語が書かれた。中世の芸能:能楽の発展、狂言の出現第二節詩歌・連歌・歌謡一、新古今和歌集成立元久二年巻数二十巻編者藤原定家などの六人歌数約二千首歌風の特色妖艶、有心の詩境;象徴的、唯美的な新古今調。言葉の特色縁語、掛詞が多く、初句切れ、三句切れ、体言止め。第二節詩歌・連歌・歌謡百人一首成立文歴二年頃編者藤原定家内容恋の歌が43首、四季の歌が32首地位王朝秀歌の代表的なもので、文芸の世界に影響を及ぶ第二節詩歌・連歌・歌謡新勅撰和歌集:成立文歴二年歌風平淡、典雅歌数千三百首金槐和歌集:成立1213年作者鎌倉幕府の三代将軍源実朝特徴私家集評価正岡子規などの名人に高く評価された第二節詩歌・連歌・歌謡三、十三代集と歌論十三代集:勅撰和歌集のうち八代集以後のものをいい,合わせて二十一代集という。<新勅撰和歌集>、<続後撰和歌集>、<続古今和歌集》>、<続拾遺和歌集>、<新後撰和歌集>、<玉葉和歌集>、<続千載和歌集>、<続後拾遺和歌集>、<風雅和歌集>、<新千載和歌集>、<新拾遺和歌集>、<新後拾遺和歌集>、<新続古今和歌集>の13集。第二節詩歌・連歌・歌謡歌論:平安中期から末期にかけて、余情論が確立し、余情を幽玄に結び付けた歌論が、鴨長明の<無明秘抄>にはじまり、定家は<近代秀歌>、<毎月抄>などで、余情妖艶を主とする有心体が理想とした。心敬の連歌論<ささめごと>はその続きである。第二節詩歌・連歌・歌謡四、連歌和歌の上の句と下の句をそれぞれ別人が詠み、その繋げがたを楽しむ文芸である。連歌の第一句を発句、次を脇、第三句を第三、最後の句を挙句という。<万葉集>に短連歌が見られるが、平安後期から、これが上の句と下の句を相互的に繋げた長連歌に発達した。鎌倉初期には、和歌の余興として連歌の会が開かれ、無心派と有心派とに分かれた。鎌倉後期、連歌は武士、一般庶民に愛好され、花下連歌と呼ばれた。南北朝に入ると、連歌は盛んになっって、二条良基が出現した。室町期に入ると、心敬のような優れた連歌師が輩出したから、和歌に代わって、隆盛に極めた。第二節詩歌・連歌・歌謡五、連歌の完成と<水無瀬三吟百韻>心敬などを続いて、宗祇が連歌を完成した。主な作品は<吾妻問答>、<老のすさみ>、<竹林抄>、<新選菟玖波集>。長享二年、<水無瀬三吟百韻>が完成され、これは連歌の模範だった。第二節詩歌・連歌・歌謡六、俳諧連歌と歌謡俳諧連歌は室町末期、山崎宗鑑・荒木田守武らによって普及された、江戸時代、松永貞徳・西山宗因らを経て、松尾芭蕉に至り蕉風俳諧として芸術的完成をみた。鎌倉期には、歌謡の代表としては、宴曲、和讃、小歌などがあった。宴曲は素拍子や尺八の伴奏により、宴席で持てはやされて、貴族・武士などの間に行われた。また、鎌倉期には、和語で仏、菩薩、先徳などを讃嘆した今様風の仏教讃歌が多く作られた。小歌は広く民間に流行した歌謡である。歌は七五調を主に、内容は庶民の日常生活、特に恋愛を歌うものが多い。第三節漢詩文一、武家政権と文化欲求荘園公領制の形成に伴ない、武士団の主力に地方に土着した受領や有力な在庁官人のもとに結集し、大きな武力を構成した。武家と武家、武家と公家の間戦乱が行った。建久三年、源頼朝は鎌倉幕府を確立した。時代と社会が変わるにつれて、新しい勢力と階層が生まれ、知識、教養への欲求が高まる。もう一方、僧侶知識人の存在や活躍がある。とくに禅宗であった。新しい中国文化は武家の間に広く普及された。第三節漢詩文二、仏教の盛行と五山文学仏教の盛行:中世は乱世であり、仏教に言う末世末法の世であるという認識が広く行きわたっていたことから、仏教信仰が盛んになった。法然、親鸞、明恵、道元、日蓮、一遍など多くの高僧が現れてきた。これらの高僧の教示的な言葉が信者たちによって記され、法語文学が形成した。第三節漢詩文五山文学:浄土宗法然の<和語燈録>、浄土真宗親鸞の<歎異抄>、時宗一遍の<一遍上人語録>、日蓮宗日蓮の<開目抄>、曹洞宗道元の<正法眼蔵>などが注目される。禅宗寺院の主なものは幕府の統制下に置かれ、鎌倉と京にその頂点となる五つ寺が定められた。五山文学が栄えることとなった。五山文学は俗世を超越した絶対的境地に立つのではなく、幕府の統制のもとで、世俗的価値との共存が前提であった。三代将軍足利義満の時代になると、幕府の権力が強化され、北山文化が春屋妙葩、義堂周信、絶海中津を中心に栄えた。その後、四代、五代の将軍の時、各地に反乱あったものの、五山は安定した活動を続けた。第三節漢詩文和漢の交流:藤原良経や定家によって考え出された「詩歌合」という新しい文学形式である。一方、宮廷・公家の文化の面で、五山僧は「漢」の担い手として活躍しているようになった。五山は当時抄物と呼ばれる仮名交じりで口語に近い文体の注釈書が作られた。詩歌の方面では受容の幅が広がり、中晩唐詩を中心に、元や明の詩に至った。スタイルや技法、表現などに新しい面が見られ、写実性が高かった。五山は、約三百年の間で中国文化を受容・消化・分配し、儒学者が輩出し、次の時代に幕府に仕える儒者を多く育てた。第四節物語文学の発展鎌倉期には、源氏物語をはじめとする平安期の物語を模倣する擬古物語が作られた。現存するのはわずか七、八種である。一、擬古物語御伽草子:室町時代を中心に行われた通俗小説で、内容は平易通俗であり、説話的、ロマン的ないし教訓的な童話風作品である。形式はおおむね短編で、絵巻ものが多い。第四節物語文学の発展二、軍記物語乱世に生きる人々の姿を描き、不安定な世情を反映した作品である。俗語や方言を加え、和漢混交文でドラマチックに語った。第四節物語文学の発展保元物語平治物語作者未詳、未詳成立未詳未詳巻数三巻三巻内容鳥羽上皇の死に契機に皇位・摂関の地位を争う原因で行った保元の乱平治の乱の様相と敗者源義朝の後日談文体漢字仮名交じり文漢字仮名交じり文特色骨肉近親間の流血の抗争を描いた抒情的な側面もある第四節物語文学の発展保元物語平治物語平治物語第四節物語文学の発展平家物語太平記作者未詳未詳(小島法師)成立十三世紀半ば十四世紀半ば巻数十二巻四十巻内容平氏一門の未曽有の栄華と滅亡無常観元弘の乱、南北朝の内乱世相、政道への批判が厳しい特徴迫力に満ちた合戦場面や別離、哀切な死の記述に満ちて、感傷的、ロマン的文体和漢混交体和漢混交体語り手平曲(琵琶法師)太平記読み第四節物語文学の発展平家物語太平記第四節物語文学の発展伝記物語:武人の生涯や行動を英雄的に形象化し、悲劇的、同情的に描いた義経記曽我物語成立室町初期より中期までの間南北朝の初め内容源義経の生き立ちと末路に重点が置かれる曽我兄弟の敵打ちをしるす悲劇的な物語思想儒教思想儒教思想、仏教・神道判官物の源流となった曽我物の源流となった第四節物語文学の発展義経記曽我物語第四節物語文学の発展三、歴史物語平安末期には物語風に歴史を記述する<大鏡><今鏡>が出て、鎌倉初期には<水鏡><増鏡>が書かれた。水鏡増鏡巻数三巻二十巻作者中山忠親二条良基成立十三世紀初め元弘三年内容神武天皇から仁明天皇までの天皇を内容天皇十六代百五十一年の歴史を描いた特徴現実的公家側の立場から第四節物語文学の発展愚管抄神皇正統記作者慈円北畠親房内容神武天皇から順德天皇までの歴史を仏教的世界観で解釈神代から後村上天皇までの天皇の治績を記し、南朝の正統性を理論づけて強く主張している第四節物語文学の発展四、説話文学中世初期は説話の黄金時代である。「宇治拾遺物語」などの世俗説話集、「発心集」などの仏教説話集が編まれた。特に、庶民的・民話的な話を多く収めた「宇治拾遺物語」は「今昔物語」とともに、説話文学の傑作であり、近代の芥川龍之介などにも創作のヒントを提供していた。第五節日記・紀行・随筆一、日記文学の発展中世の女流日記から見れば、「我」の存在や位置を強調するのが特徴である。鎌倉期には、愛の日記と多くの紀行文が生まれてきた。代表的な作品:<建寿御前日記>、<建礼門院右京大夫集>、<弁内侍日記>、<中務内侍日記>、<とはずがたり>。二、紀行文の出現代表的な作品:<海道記>、<東関紀行>、<十六夜日記>第五節日記・紀行・随筆海道記東関紀行十六夜日記成立貞応二年任治三年弘安二年作者未詳未詳阿仏尼文体和漢混交体和漢混交体特徴思想内容が豊か美文調、流麗わが子への母性愛および訴訟に関する心配なども盛られる平安期の女流日記には見られない、強い意志の世界である第五節日記・紀行・随筆海道記東関紀行十六夜日記第五節日記・紀行・随筆三、新時代の随筆隠者たちは俗世を逃れ、自然を友とし、世間に縛られない知識人のゆとりをもって、自己や人生を考えながら、仏道修業に励む姿勢の中で創作に取り掛かり、残された傑作は激動期の社会をよく反映した。第五節日記・紀行・随筆徒然草方丈記成立延慶三年――元弘元年建歴二年作者吉田兼好鴨長明文体平明な擬古文体簡潔、清新な和漢混交文主題人生の変転無常を嘆き、自分の不遇や出家など、方丈の庵に結ぶに至る事情を述べている出家して隠遁者になってからユーモアに満ちた筆致で書かれた評価隠者文学の典型として中世文学に大きな影響を与えた随筆文学の双璧の一つ第五節日記・紀行・随筆徒然草方丈記第六節劇文学一、能:室町時代に田楽などを基にして、謡曲を脚本として演じられ、動きのすくない極度に様式化された劇である。世阿弥は<風姿花伝>などの能楽書、舞台芸術論、幽玄美を理想とする能楽大成した。笛、太鼓、小鼓を伴奏として、地謡にあわせたり、自ら歌を歌ったりしながら、舞う。日本の演劇の初めである。日本の代表的な伝統芸能として、今も上演されている。能が荘重的で、登場人物にしても人間のあるべき生き方を求めて苦しみ悩む、いわば理想的しかも悲劇的傾向が強い。第六節劇文学第六節劇文学第六節劇文学二、狂言狂言は滑稽な演技を中心とする寸劇的な喜劇である。シテ方、ワキ方、囃子方、狂言方の四つの演技があり、夢幻能、現在能の二種類に分けられる。現在残っている狂言は二百六十曲ほどで、内容によって、八種類に分類されている。狂言は軽妙的で登場人物はおおむね現実的かつ喜劇的である。