日本学術会議公開討論会BSE対策の科学平成16年10月30日於東京商工会議所東商ホール講演・パネル討論記録主催日本学術会議獣医学研究連絡会後援内閣府食品安全委員会日本学術会議公開討論会「BSE対策の科学」プログラム平成16年10月30日(土)於東京商工会議所4階東商ホール午後1時開演開会の辞岸輝男日本学術会議副会長第1部講演1.「英国とEUにおけるBSEリスク評価と管理」ダニー・マシューズ英国獣医学研究所TSE研究プログラム管理官2.「スイスと国際機関におけるBSEリスク評価と管理」ダグマー・ハイムスイス獣医局TSE調整官3.「ニュージーランドにおけるBSEリスク評価と管理」スチュアート・マクダイアミドニュージーランド食品基準庁主席アドバイザー4.「米国とカナダにおけるBSEリスク評価と管理」ゲイリー・スミスコロラド州立大学教授5.「日本におけるBSEリスク評価と管理」小野寺節東京大学教授・食品安全委員会専門委員6.「BSEリスク評価と管理の国際比較」小澤義博国際獣疫事務局(OIE)名誉顧問午後3時15分~3時30分休憩第2部パネル討論司会唐木英明東京大学名誉教授パネリスト上記6名の講演者テーマ①BSE対策の科学的根拠②各国のBSE対策に学ぶ③リスクコミュニケーションと消費者の信頼回復閉会の辞寺尾允男内閣府食品安全委員会委員長代理午後5時終了はじめにこれは去る10月30日の日本学術会議公開討論会「BSE対策の科学」において行われた講演とパネル討論をほぼ忠実に記述したものである。BSEについてはいろいろな人がいろいろなことを言っているが、一番大事なことは科学に基づいた対策を立てることだろうと思う。この公開討論会の目的は、世界でBSEの研究や対策を実際に行ってきた科学者諸氏から、本当の科学的対策は何なのかを聞くことであった。イギリスのマシューズ博士は、最大のBSE感染国として英国が取り組んできたこれまでの経緯を説明され、中でも特定危険部位の除去を徹底的に実施管理することの重要性、および欧州で得られた教訓は世界中のどこでも当てはまるということを強調された。スイスのハイム博士は、BSEの対策は政治や感情に基づいて行われるべきものではなく、科学に基づくべきであり、スイスはそのとおりのことを実施していると述べられた。ニュージーランドのマクダイアミド博士は、現実にリスクがどのくらい大きいのかに比例して対策を立てるべきであるという、科学的に非常に明快な話をされた。同時に、リスクの認識に対しては個人差があり、そこが難しい問題であることも指摘された。日本でも毎年2、3万人の食中毒患者が出て何人も死亡しているが、内閣府食品安全委員会の中間報告によると、日本でBSEに感染して死亡する人の確率は最悪のシナリオでも1人いるかいないかである。同博士の話を聞くと、日本でどのような対策をとればよいのかについて改めて考えさせられる。アメリカのスミス博士は、米国がヨーロッパの経験に学びながら同時にハーバード大学のリスク分析の結果を重視して対策を立ててきたことを話された。また、日米牛肉交渉に関連して、牛の年齢の特定に関する取り組みについても詳しく語られた。日本からは小野寺博士が、先日発表された食品安全委員会の「中間とりまとめ」を中心に、日本の状況を説明された。非定型のBSEに関しては後半のパネル討論でも議論がなされた。最後に小澤博士は、BSEのリスク評価とリスク管理について日本と海外諸国とを比較され、特にBSE検査は安全対策にはならないこと、危険部位の除去こそが対策になること、したがって危険部位の除去をきちんと検証して徹底させるべきことを強調された。できるだけ多くの人々にこれら科学者諸氏の示唆に富んだ意見を聞いていただきたく、ここに小冊子として記録を残すことにした。各人が日本の対策を考える一助になれば幸甚である。日本学術会議獣医学研究連絡会唐木英明講演者・司会者プロフィールダニー・マシューズ(Dr.DannyMatthews)獣医師。リバプール大学卒業後、英国農業食糧省に入省し、BSE撲滅プログラムの運営に当たる。英国および国際機関でBSE研究を続けている。現在、環境食糧農村地域省付属ウェイブリッジ研究所の伝達性海綿状脳症(TSE)研究プログラム管理官。世界的に有名なBSE研究者。ダグマー・ハイム(Dr.DagmarHeim)ベルリン自由大学卒業後、ベルリン大学で研究に携わり、1996年よりスイス連邦獣医局に勤務。スイスのBSE対策プロジェクトのリーダー。1999年から2003年まで欧州連合(EU)のTSE特別部会委員。現在は国際獣疫事務局(OIE)のBSE特別部会委員。スチュアート・マクダイアミド(Dr.StuartC.MacDiarmid)ニュージーランド食品基準庁人畜共通感染症・動物衛生担当主席アドバイザー。政府BSE専門科学委員会オブザーバー。BSEの専門家としてOIE等の国際機関に務めると同時にBSE国際調査団の一員としても活躍。ゲイリー・スミス博士(Dr.GaryC.Smith)テキサスA&M大学卒業後、ワシントン州立大学、テキサスA&M大学の教授を経て、現在はコロラド州立大学畜産学部教授。様々な国際学会で活躍するほか、米国農業科学技術委員会その他の重要な各種委員会の委員を務める。牛肉輸入再開を巡る日米交渉にも参加。小野寺節(Dr.TakashiOnodera)東京大学大学院農学生命科学研究科教授。内閣府食品安全委員会プリオン専門調査会委員。BSE対策に関する農林水産省および厚生労働省の委員会・調査会の委員を務めるほか、欧州連合(EU)のTSE特別部会委員などに就任し海外でも活躍。小澤義博(Dr.YoshihiroOzawa)国際獣疫事務局(OIE)名誉顧問。長年OIEに務め、BSE対策に携わる。アジア各地での経験も豊富。2000年にはアジア人として初めてOIEより毎年世界の獣医界で最も大きな貢献をした獣医師に授与される金メダルを受賞。唐木英明(Dr.HideakiKaraki)東京大学名誉教授。日本学術会議会員。内閣府食品安全委員会専門委員。日本トキシコロジー学会理事。東京大学退官後も内外の大学・研究所にて指導・研究に当たる傍ら、学会・委員会・審議会の委員を務める。科学的客観的なBSE対策の必要性を説く。第1部講演1.ダニー・マシューズ(英国)本日は英国がどのようにリスク管理を行ってきたか、また、どのようにリスクコミュニケーションを図ってきたかを手短にお話ししたい。ご存じのようにBSEが最初に発見されたのは英国で、当時の我々には不確実なことが多かった。しかし、最初のBSE発見以来17年が経過し、その間に知識はかなり増えたので、BSE対策の決定に関しても何も分からなかった時とは状況が異なる。以下では特に、データがなかった頃の動物の衛生管理アニマルヘルスと人間の健康管理ヒューマンヘルス、データが得られた後の動物の衛生管理と人間の健康管理に焦点を当てて話を進めたい。まず、データがなかった頃には、牛以外の種、特に羊のスクレイピーに関する研究を基に、慎重な態度をとらざるを得なかった。その後、サーベイランス(監視体制)やリサーチ(研究調査)の実施によってデータが増えるにつれ、我々は対策を修正していった。最初は、まずBSEについてできるだけ情報を集めることにした。1987年後半から1988年の1月にかけては、牧場での疫学的調査を実施した。まとめるのに十分と思われる最初の200例を基に、疫学者がデータを分析し、唯一の共通点を見いだした。それは、どの牛も反芻動物蛋白が入った飼料を食べていたことである。当時は、何がBSEの原因なのか、BSEに感染性があるのか、単なる中毒なのかなど一切わからなかった。ただ、疫病管理の主原則に則って考えると、牛に反芻動物由来の肉骨粉を与えるべきでないことは明らかであった。そこで1988年に反芻動物由来蛋白を反芻動物に与えることを禁止した。これは一時的措置であったが、飼料業界や化成処理業界に大きな影響を与えた。当時これ以上の措置をとっていたら業界からの反発が大きく、多くの業者が禁止規則を順守していなかったことだろう。この1988年7月の飼料禁止規則の数ヶ月後、我々は肉骨粉が安全に処理されているかどうかを確かめるために化成処理業界を検査したが、安全が確保されている工程はひとつもなかった。そこで1988年末、閣議決定により禁止規則の期限が恒久的に延期された。また当時は、我々が牧場でBSEの再検査をするにしても用心しなければならなかった。我々のスタッフ(獣医)自身も経験が乏しかったために、臨床症状を示した牛だけを疑ったこともある。BSEの疑いがある牛と判断してと殺するまでに何日も何週間も要したこともある。その間にもこの牛は牛乳を出し、その牛乳は消費されていた。そこで我々は、この牛の牛乳の消費を停止させたが、同じ群の残りの牛の牛乳については消費を認めた。これはあくまでも予防措置であって、現在においてもBSEが牛乳から感染するという証明はなされていない。データが得られた後、我々は対策の一部を変えている。1990年には2つのことが起こった。以前から他にどんな動物種がBSEに感染するか、接種実験を行っていたのだが、ブタへの感染に成功したのである。また、国内の猫海綿状脳症が発見され、その症状がBSEによく似ていたし、以前には発見されていなかったことから、我々はBSEと関連があると仮定した。これで他の動物種も感染の可能性があることが分かったのである。そこで、現在我々が特定危険部位(SRM)と呼んでいる組織をすべての家畜およびペットの飼料として使用することを禁止した。これにより反芻動1物飼料の反芻動物への給餌禁止が強化されたことになる(ただし、反芻動物飼料禁止が完全に守られていたらの話だが)。ところが数年後の1995年に飼料禁止規則が必ずしも順守されていないことが分かった。と場ではSRMの処分には費用がかかる一方、臓器を販売すれば収入となったため、一部のと場では経済的理由から、処分すべきSRMを臓器に混ぜて売っていたことが分かった。このため1995年には2つのことを行った。1つには、SRMに着色する方法を導入した。もしSRMが化成工場に送られたら、工場ではそれがSRMであるか否かが確認できる。この着色は濃い青なので肉骨粉に混じっても見分けることができるため、肉骨粉の検査でも規則の順守を取り締まることができる。さらに、もっと重要なこととして、と場における食肉衛生を取り締まる中央機関を設置した。それ以前は、と場の取り締まりは各地方自治体が担当していたため、地方によって取り締まりの方法や予算、優先順位が異なっていた。そのため、SRMの処分をさほど重要視しないところもあった。というのも、政府から受け取るメッセージを「BSEは安全だ」と間違って解釈し、SRM禁止規則は単に技術的なことであり重要ではないと考えていたのだ。実際には、「SRMの除去によってBSEは安全になる」というメッセージであったのだが、これを十分に理解していなかったのである。そのために地方ではSRM規則の取り締まりが不十分であった。そこで1995年、中央の取り締まり機関、単一のルール、および単一の教育プログラムを設け、順守を一律に徹底させることにした。また1995年には頭蓋から脳を取り出すことを禁止した。頬肉を例外として頭全体をSRMに指定したのである。脳の取り出しを禁止したのは頬肉の汚染を防止するためであった。1996年には、飼料の交差汚染を防止することはほぼ不可能だと気付いて、飼料禁止規則の適用範囲を拡大した。なぜなら、牛、豚、および家禽の飼料を生産する工場で、豚および家禽の飼料に肉骨粉を混ぜることが認められている場合、牛の飼料が肉骨粉に汚染される可能性は避けられない。これを阻止する方法はただ1つ、肉骨粉の使用を全面的に禁止することであった。その根拠は4ヶ月齢の牛の感染実験で明らかになっ